初稿:2011.05.21
編集:0000.00.00
<< 前の話   次の話 >>
※ヴィルヘルムSIDEです

3-01【鷹眼】


 闇夜を切り裂く馬蹄の響き―――

「ようやく来おったか」

 ヴィルヘルムは手元の書籍から顔を上げると、執務室の窓越しに視線を動かす。 半ば白眉に埋もれた金褐眼に複数の篝火が映り込んでいた。 正面玄関から上階と繋がる螺旋階段を駆け上がる複数の足音。 直後、執務室の扉が蹴破られるように開け放たれた。 法衣を纏った壮年の男を先頭に、数人の兵士が室内へと雪崩れ込んでくる。

「これはカルロ枢機卿。 変わらぬご壮健ぶりでなによりじゃ」

 ヴィルヘルムは動ずることなく不意の来訪者を出迎える。 通常なら既に床についている時刻である。 その点だけでも、老卿がこの事態を予測していたことが伺えた。

「ヴィルヘルム主席枢機卿、誠に遺憾ながら我々は貴方を拘束せねばなりません」

 法衣を纏った男―――カルロ・ミサ・シークリア枢機卿は語気を強めて断言する。 短く刈り込んだ黒髪に整った体躯、狩猟者を匂わせる鷹瞳には一片の翳りもない。 教会内の血で血を洗う権力抗争を、自身の才覚のみで勝ち抜き立身出世した切れ者である。 彼が元老院側に付いている事実は、それだけで危惧すべき事態だといえるだろう。

「それは如何なる理由でかな?」

「貴方には、囚人護送隊襲撃の逃亡者幇助及び、先の聖下殺害に関して事実隠匿の疑いが掛けられております。 容疑を否認するものならば、シャルロット・リュズレイ、並びにファティマ・イス両人の身柄引渡しを願いたい」

 一切の敬称を省いた申し立てである。 形式的には同格のファティマ・イスのみならず、一国の姫君であり、聖女の血脈に連なるシャルロットに対して、著しく礼を欠いた不遜な態度であった。 敢えて敬称を省くことによって、両者の立場を強調する思惑もあるのだろう。

「さて、なんのことやらさっぱりじゃな」

「隠し立てをすると御身の為にはなりませぬぞ」

「ならば、ワシを審問会に召喚してみるかね? 無論、お主にその権限が委ねられていればの話じゃがな」

 本来、教皇に次ぐ聖位である枢機卿を拘束するには、元老院に対して数少ない対立機関でもある司教評議会の承認が不可欠である。 首謀者ではなく、従犯の嫌疑が掛けられた程度では、そう易々と追認されるわけもない。 故にヴィルヘルムは己に拘束許可が下りていないと踏んだのである。 それは最初の威嚇がよい証拠だろう。 捕縛を目的とするならば、虚勢など張らず、先ず以て承認書を提示すれば済む問題なのだ。
 つまり、ヴィルヘルムの口から直接、立証に足る然るべき証拠や証言を引き出そうとの算段であったのだろう。 従って、白を切りと通せば当面はやり過ごる筈だった。

「噂どおり喰えない御仁だ」

「まだまだ、お主たちのような若造にとって喰われるほど耄碌はしてはおらぬよ。 それでも納得いかぬのなら、家捜しでもなんでもすればよかろう」

「なるほど、とんだ無駄足を踏まされたというわけですか」

 カルロの鷹眼がヴィルヘルムを射抜き、両者の視線が交差する。
 暫し無言の対峙が続き―――

「非常時とはいえ、夜分失礼仕った。 此度の非礼は後々正式に謝罪致しましょう」

 あっさりと、頭を垂れたカルロは、謝罪の言葉を口にする。

「待たれよ。 無駄足を踏んだ上に、手土産ひとつないのでは、お主の沽券に関わるじゃろう。 どうじゃ、この老いぼれの茶飲み話にでも付き合ってみぬか?」

 ヴィルヘルムの声が、踵を返しかけたカルロを引き止める。

「ふむ……では、そうさせて戴きますかな」

 カルロは喉元まで出かかった謝絶を呑み込むと、鷹揚に頷いてみせた。 追従した兵士を散開させて、己は勧められるまま執務室の長椅子に腰を落とす。

「生憎と使用人たちに暇を出しておってな。 碌な持成しはできぬが、取って置きを入れてやろう」

 ヴィルヘルムは愛用の肘掛け椅子から立ち上がり、茶器台へと歩み寄る。 暫くすると、甘く、蜜のような芳香がカルロの鼻孔を撫でた。

「主席枢機卿が手自ら入れた茶を戴けるとは、良い自慢話に―――」

 世辞とも本音ともつかぬカルロの言葉が不意に途切れる。 その視線は、戻ってきたヴィルヘルムが円卓に置いた茶碗の中身―――ぐつぐつと煮えたぎる黒紫の液体に注がれていた。 魔女の大釜のなかで呪いの言葉と共に三日三晩煮詰められても、この異様は再現不可能であろう。

「元老院も本腰を入れて教会の乗っ取りを企んでおるようじゃな」

 ヴィルヘルムはカルロに対座すると、単刀直入に切り出す。

「危険な発言ですな。 根拠のない風説に惑わされるとは、七賢人とまで讃えられた貴方らしくもない」

「それがカルロ卿の本心ならば、お主の目こそ節穴だと疑わざるを得ないの。 教会法を侵犯して、使徒座の神聖を穢そうと画策するのは元老院ぞ」

 ヴィルヘルムの眼光が鋭さを増す。

「古き慣習に囚われ資質無き者が権威を握れば、不幸になるのは信徒たちです。 それが解らぬほど貴方は愚かではありますまい」

「ふん、口賢しいの。 じゃが、元老院が擁立するアンヌフォルト・インドブルクスは年端も行かぬ幼子、聖権を振るうには無理があろう。 お主が望むのは傀儡の神聖か?」

「彼女には神から授かった天分があります」

 カルロの意志は揺るがない。 それは既に狂気の領分に片足を預けた者の発言であった。

「どうやら、この話は何処まで行っても平行線のようじゃな」

 信仰といったものは、絶対的な価値観を己が心裡に見出すものである。 世界の本源性と重なることはあっても、混じりあうことはないだろう。 カルロが本心からアンヌフォルトの神性を信じているのならば、議論の余地は無い。

「そのようです。 それにいつの間にか此方が尋問される立場になっているようだ」

 カルロは談義の終止符を打つ為に立ち上がる。

「退屈させたかの?」

「いえ、十分に刺激的でした。 互いの立ち位置を理解する上で有益な時間だったと言えるでしょう」

 カルロは慇懃に謝意を示した後、執務室から姿を消した。

「ふむ……」

 ヴィルヘルムはカルロが消えた扉を凝視して、思索の檻に心を宿す。
 カルロの発言はアンヌフォルト個人に固執している節があった。 ともすれば、元老院とは真の目的を異にしている可能性もある。 元老院の思惑を利用しているのか、或いはされているのか? どちらにしても、カルロの目的はアンヌフォルトの即位にこそあると考えて間違いないだろう。
 だが、元老院側の利点はどうだろう? 古老たちが傀儡の教皇を擁立して教会の実権を握る事例は過去にも存在している。 敢えて、教会法を犯してまで、フォン家の血脈を廃絶する意味が存在するのか―――

「教会には元老院ですら立ち入れぬ聖域が存在するということかの……」

 濃い霧に閉ざされた結論は、不確かだが、何処か確信めいた証左を導き出していた。

 ・
 ・
 ・

「それにしても、あ奴……一度も口を付けなんだ」

 さも残念そうに円卓に放置された茶碗を見下ろすヴィルヘルムだった。


<< 前の話   次の話 >>