初稿:2010.05.12
編集:2013.05.30
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※光ノ章の本編です

2-07【神韻】


 一行が霊廟へと連なる石階段の中腹に差し掛かった時、帰路を封じるように頭上で祭壇の仕掛けが口を閉ざした。 転瞬、辺りが無明の闇に包まれて、シャルロットが小さな悲鳴をあげる。

「暫し、お待ちを」

 闇の中に火花が散り、手提げ角灯を持つエドゥアルトを中心に周囲の闇が切り取られた。 石階段の先には、重厚な石製の回廊が暗闇へと延びていた。

「教会物品の窃盗・強奪は利き腕を切り落とす決まりとなっておりますわ」

 ファティマ・イスは角灯側面に刻まれた教会印を目敏く見咎めると、エドゥアルトの耳元でそっと呟く。 女枢機卿の推測通り、青年の持つ角灯は大聖堂内で拝借されたものであった。

「真顔で仰られると冗談に聞こえないな」

 エドゥアルトは頬をひくつかせて、ファティマ・イスの横顔を窺う。

「わたくし冗談は嫌いですのよ。 もっとも、今回に限り特例で見逃して差し上げますわ」

「それはありがたい。 では参りますかな、麗しき淑女のお二方」

 エドゥアルトは大きく息を吐くと、儀礼的護衛と心得たように危険が伴う先頭を颯爽(さっそう)と歩きだす。

「あ、あの……ここが地下霊廟ですか?」

 暫く進むと、シャルロットが不安気に辺りを見回して尋ねる。 角灯の頼りない光源だけでは、左右の石壁に沿って立ち並ぶ石柱群をおぼろに確認するのが限界であった。

「いや、形状から察するに霊廟本殿へと続く殿廊といったところか。 ファティマ・イス猊下はどう思われるかな?」

「不本意ながら貴方と同意見ですわ」

 ファティマ・イスは、渋々ながらエドゥアルトの見識に賛同する。

「どちらにしても一本道な点だけは助かるな。 なにしろ道に迷う心配がない」

 そんな冗談も馬鹿に出来ぬほど、殿廊は延々と続き果てしがなかった。 それから更に幾重にも歩が重なり、一行が時間の感覚を失いかけた頃、その道程は唐突に終わりを告げた。

「……ほう」

 エドゥアルトが感嘆したように軽く口笛を吹く。
 不意に開けた視界の先には、広大な地下空間が展開していた。 天と地を繋ぐ鍾乳石群が深々と立ち並び、剥き出しの岩肌が所々で露出して蒼白い輝きを放っている。

「この光は天然光のようだが……」

「鉱石成分に蛍石を含有しているのだと思います。 ルブリス島一帯は西大陸でも最大の蛍輝石の産出地でもあると、ヴィルヘルム先生が言っておられました」

 シャルロットが師の受け売りで博識振りを披露する。
 蛍輝石は石の生命とされる光核が脈動することにより光を放つ。 別名、生命石とも呼ばれており、洞窟全体が生き物のように鼓動していることからも、純度の高さは疑いようがない。

「これだけあれば一生遊んで暮らせるな……。 いや、国のひとつやふたつ容易に買えるかもしれない」

 エドゥアルトの口が呆けたように半開きになっていた。 蛍輝石は、その特質から様々な分野で活用される希少価値の高い鉱物だけに、青年の考察は当らずも遠からずといったところだろう。

「残念ですが、ここは教会領有地内ですわ。 自然物を含めた全ての物権は教会に属することになります」

 ファティマ・イスが別角度から所見を付け加える。

「ファティマ・イス猊下には夢がないな」

「現実主義だとよく言われます」

 げんなりと返すエドゥアルトの愚痴を、ファティマ・イスは軽く受け流した。 既にその視線は物欲とは別の場所、目近な鍾乳石の一柱へと向けらている。

「そして、恐らくここが霊廟の本殿なのでしょう」

 ファティマ・イスの見立てどおり、巨木の様相を呈する鍾乳管には幾つもの大穴が穿たれており、そのひとつひとつに古ぼけた石棺が収められていた。

「だが、ここは霊廟というより何かもっと別の……、 そう、呪術や秘儀を執り行う儀式的な力場のように思えるな」

 エドゥアルトが緩やかな勾配を降りながら、気味悪そうに周囲を見渡している。 岩肌から滴り落ちる水音と蛍輝石の鼓動が共鳴して、まるで巨大な生物の体内にいるかのような錯覚を抱かせた。

「さてさて、鬼が出るか蛇がでるか」

 エドゥアルトの口振りは、厄介事を待ち焦がれているようにも聞えた。
 一方、廟内の神韻縹渺(しんいんひょうびょう)たる雰囲気に呑まれたシャルロットの口数は減る一方だ。 元々多弁とはいい難いが、整然と張り詰めた空気が齎す緊張感にあてられたようである。 それは隣を歩くファティマ・イスも同様だった。

「いや、場所柄を考慮すれば幽鬼の類に期待すべきか?」

 よって、信心深さとは無縁なエドゥアルトの軽口だけが残る。

「ん?」

 不意に先頭を歩くエドゥアルトが鼻をひくつかせる。 微かに鼻腔を突く錆びた鉄の匂いが感じられた。 さり気無く歩を緩めるが、尾行者の気配はない。

「ようやく貴方の見せ場かしら?」

 ファティマ・イスがエドゥアルトをからかうように焚き付ける。 此方も異質な気配に気がついたらしい。

「生憎、俺は頭脳労働が専門でね。 肉体を酷使する奉仕活動は夜毎の秘め事限定と心に決めている。 なにより、俺より強い人間を守る必要なんてあるのかい?」

 エドゥアルトは肩越しに朱痕が残る手首をちらつかせる。 それは背後を歩くファティマ・イスへの当て付けであった。 如何に油断があったとはいえ、大の男を容易に手玉にとる人間が、か弱き女性であるわけがないと言いたいのだろう。

「美女とそれに準ずる美少女の頼みを断らないのが貴方の美学なのでしょう?」

 余裕の表情で返すファティマ・イス。 両者ともに、この緊張感に欠けた悪態の円環構造を楽しんでいるようだ。

「はぁ……、俺が引き受けたのはシャルロット姫のおもりだけなのだがな」

「わたしも自分の身ぐらい自分で守ります!」

 シャルロットが決然とした面持ちで反論するが、気持ちだけでどうにかなる問題ではない。

「困ったものだ」

 如何に気高き思想でも、それを成し得る実力を伴っていなければ、傍迷惑な虚言妄想の類となんら違わない。 かといって最初から何もしようとしない人間は生きている価値さえない。 それがエドゥアルトの持論でもあった。

「困る暇があったら、少しは聖女さまの清らかな心根を見習うべきですわね」

 ファティマ・イスが聖職者らしく、精神論を持ち出してきた。
 すると、前を歩く青年の脚が、唐突に静止する。

「なるほど、少々お手を拝借しても宜しいかな?」

 エドゥアルトは鷹揚に頷くと、流れるような動作でシャルロットの左手を掴み寄せる。 そして、何を思ったか徐に少女の五指の一本を口に含んだ。

「な、なななな……」

 シャルロットが目を白黒させて狼狽する。 状況を理解すると、少女の頬が見る見る紅潮していく。

「ぶ、無礼者! なんのつもりですか!?」

「いやいや、俺はファティマ・イス猊下の勧めに従ったまでなのだが」

 エドゥアルトは激昂するシャルロットを軽くいなしつつ、涼しい顔で責任転嫁をする。 転んでもただでは起きない男である。

「わたくし、そのような破廉恥な行為を勧めた覚えはありませんわ」

「心根を見習うとは、シャルロット姫の爪の垢を煎じて飲むと同義語だろうに」

「違います」

 勿論、否定された。

「それに子供の頃、姉上から教わったのさ。 左手薬指の血管は直接心臓へと繋がっているから、こうすれば相手の緊張を解せるとね。 効かなかったかな?」

「効きません!!」

 こちらも否定。 もっとも後者に関しては、確かにシャルロットの顔から恐怖や不安といった類の翳りは消失していた。 ただし、別の意味で緊張感が増したらしく、隠れるように女枢機卿の背後に回り込んでしまった。

「こうも信用がないものかね」

「自業自得でございましょう。 しかし、幸か不幸か無駄口を叩く暇はもうないようです」

 ファティマ・イスの言葉に、エドゥアルトが携えた角灯を高く掲げる。 光の領域が前方へと薄く広がり、鍾乳石の陰に蟠った薄闇を照らしだす。

「随分と賑やかな連中じゃな」

 何処か舌足らずな幼い声と共に、それは現れた。 紅と黒の斑な長衣を纏った人影。 曲線を帯びた体型から女性体と判別できた。 包帯に覆われた両手で、紗幕を被せた鳥籠のようなものを大事そうに抱えている。 更にその後ろから、二つの影が浮かび上がる。 此方の二人は男性体であろう。 右に異様に長い手足を備える長躯の者、左に巨人族と見紛う巨躯の持ち主。 共に人間の範疇を遥かに逸脱した個体変異をその肉体に宿していた。 性別の確認が困難な理由は、三人共に異なる数列を刻む円錐状の黒覆面で、頭部を覆い隠しているからである。

「フィーナ!」

 シャルロットが悲鳴にも近い声を張り上げる。 少女の視線は巨躯の異形が両腕で抱きかかえる人影に吸い寄せられていた。 砂と泥に塗れた白金色の長髪と、薄汚れた囚人服を纏った人物―――それは見紛うことなくミルフィーナ・ド・グラドユニオンであった。

「どうやら、この陰気臭い穴倉で歩き回る手間が省けたようだな」

 エドゥアルトが衣装の内側から細剣を抜き放ち、正眼に構える。

「お気をつけくださいまし。 この者たちは元老院直属の暗殺部隊“処刑人”です。 構成員は三十人程度と聞きますが、特に注意するのは額に刻まれた数字ですわ」

 エドゥアルトの背後からファティマ・イスが警戒を促す。

「ほう、両脇のノッポとデカイのが其々二十三、十六……、そして中央の女が七か……。 それであの数字にはどんな意味があるんだい?」

「一桁の数字を与えられた処刑人は、正規兵一個師団にも相当する殺人兵器だと聞き及びます」

 この教皇庁で元老院の権力がここまで肥大した理由はふたつある。 巧妙に既得権を掌握した古老たちの遣り口もあるが、彼ら処刑人が背後に控えていた部分が大きい。 元老院に反発した要人・高官の類が謎の死を遂げる理由は推して知るべきだろう。

「人の皮を被った化け物であるファティマ・イス猊下が仰ると、妙な説得力があるな。 俺としては、その噂が尾ひれのついた誇大妄想の類であることを願うばかりだが」

 エドゥアルトが苦々しげに吐き捨てる。 知らなければ多少は気楽でいられた事実を吹き込まれて、あからさまに迷惑顔である。

「冗談が言える余裕があるなら助太刀は無用ですわね」

 ファティマ・イスはシャルロットを庇うように数歩後退する。 どうやら、処刑人のことはエドゥアルトに任せて、聖女を守ることに徹するようだ。 彼女の目的を考えれば当然の選択である。
 もっとも、エドゥアルトにもその表情ほどの余裕はない。 青年は不明瞭な違和感に捉われていた。 視認できる処刑人の数は三人。 しかし、前方から感じる気配は確かに四つあったのだ。

「試してみるか」

 意を決したエドゥアルトが細剣の柄を逆手に持ち直した瞬間―――前方から凄まじい鬼気が放たれる。 蛇に睨まれた蛙の如く、青年の動きが止まる。

「血気盛んは結構じゃが、浅慮が過ぎれば寿命を縮めることになるぞよ」

 そして、またあの声。
 エドゥアルトの背筋を冷たい汗が慄然と滑り落ちた。 幸か不幸か、金縛りにあったように前方を凝視していたことが、青年に姿なき声の出所を見極めさせる。 それは聞き違うことなく、女処刑人が恭しく上掲する紗布の内側から発せられていた。

「これ、いい加減にこの布切れを退けぬか」

 謎の声の叱咤に、女処刑人の左手が漣のように揺らめき紗布が消失する。

「……なっ」

 それに対面した全ての人間が絶句する。
 そこにあったのは、鳥籠のような着床台と、内台座に固定された幼い少女の生首であった。


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