初稿:2009.06.03
編集:2013.05.25
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※ミルフィーナSIDEです

1-06【脱出】


 白金の長髪を靡かせてミルフィーナが走る。 まるで飛燕が舞うが如く、急勾配の螺旋階段を、速度を緩めずに一足飛びで駆け下りた。 敵が追撃してくる気配はないが、休む余裕もまたなかった。 背中から伝わるシャルロットの体温が、急激に失われていくように感じていたからである。 だが、搭外回廊へと開かれた鉄扉を潜り抜けた時、ミルフィーナは息を呑み立ち竦んだ。

「なっ!?」

 聖宮殿と水晶の搭を結ぶ跳橋の上に、鉛色の障壁が築かれていた。
 待ち伏せていたのは、完全武装の兵士たち。 湾曲した長方形の盾を構えて、橋桁を封鎖するような密集陣形を形成している。 方盾に刻まれたアレシャイムの紋章から、それが教皇庁直属の正規兵であることがわかった。 その数は軽く十五を超え、数人を斬り倒したところで囲みを突破するのは不可能だろう。

「言い逃れる台詞を考えておくべきでしたね」

 ミルフィーナは内心で舌打ちをすると、シャルロットを鉄扉の陰に横たえる。 そして、自己を鼓舞するように腰に携えた長剣の柄に手を伸ばした。

「これはミルフィーナ卿。 随分と急がれているご様子だが、ここが教会にとってどのような意味を持つ場所であるのか、知らぬわけでもありますまい」

 うちの一人、隊長格と思しき壮年の男が前に進み出る。 短く切り揃えた黄昏色の髪、理知的な双眸と均整のとれた体格を兼ね備えている。 僅かな所作から滲み出る風格は威厳に満ち溢れていた。

「ランスロット卿……」

 ミルフィーナは強く下唇を噛み締めると、表情を曇らせた。
 ランスロット・レン・エグレイス。 教皇庁の軍備の要となる聖堂騎士団の団長にして、領主司教を兼任する才幹の持ち主である。 アルル=モアで数年に一度開催される武術大会においては不敗の英雄としての勇名も馳せていた。

「水晶の塔に賊が侵入したという密告が騎士団詰め所にありました。 最初は性質の悪い悪戯かとも思いましたが、その書状に捺された刻印が些か気になりましてね。 どうやら、このような夜更けにわざわざ兵を率いた甲斐もあったようです」

 ランスロットはミルフィーナの挙動を視線で制しながら更に言葉を続ける。

「ミルフィーナ卿、大人しく我々にご同行願えますか?」

 ミルフィーナは微動だにしない。 いや動けないのか?

「……わかりました。 ただし、シャルロット様の身の保全を約束して頂けますか?」

 ミルフィーナは暫しの葛藤の末、苦渋の決断をする。 交換条件を突きつける立場にないことは重々承知していた。 しかし、今は公明正大で名高い聖堂騎士団長の温情にすがる他、道はなかった。

「よろしい。 聖堂騎士団の名誉に懸けて約定致しましょう」

 ランスロットは苦笑すると、ミルフィーナの申し入れを受諾した。 そして、背後に控えた部下の一人に目配せすると、一言三言耳打ちする。 その兵士は酷く緊張した面持ちで水晶の塔へと姿を消した。 どうやら、教皇の無事を確認する為に部下を祭壇の間へ向かわせたようだ。

「再び御尊顔を拝する機会に恵まれて光栄の至りに存じます。 しかし、このようなカタチでの再会は避けたかった」

 ランスロットは横たわったままのシャルロットに歩み寄ると、片膝を地に着いて静かに聖印を切った。

「我々がここで鉢合わせたことも単なる偶然ではない。 恐らく何者かが仕組んだ歯車の一環として利用されているのだろう」

 ランスロットはミルフィーナにだけ聞こえるようにそっと呟く。
 ミルフィーナは歯噛みする想いだった。 あの時、水晶の塔に赴こうとするシャルロットを、力ずくにでも止めるべきだった。 ともすれば避けられた事態であったのかもしれない。 だが、今更どんなに悔いても後の祭りであることは確かだった。 聖域である水晶の塔に脚を踏み入れ、その神聖を穢したというだけでも罪は重い。 それに、祭壇の間へと向かった兵士が、教皇ウェルティス・フォン=バレル三世の惨殺体を発見するのも時間の問題だろう。 どのような申し開きをしようにも、ミルフィーナの置かれた現状は最悪だ。
 唯一の望みは、あのオルカザードの屍族が祭壇の間に留まり、全ての災厄を引き受けてくれることだが―――

「ラ、ランスロットさま!!」

 その淡い期待はすぐに裏切られた。
 先ほどの兵士が這う這うの体で螺旋階段を転げ落ちてきたからである。 その兵士は縺れるような足取りでランスロットへと駆け寄る。 齎された報告の内容に、ランスロットの端整な顔が驚愕に歪む。

「ミルフィーナ卿。 貴女の身柄は一時的に我らアレシャイム聖堂騎士団が預からせていただく。 追って審問会にかけられることとなりましょうが、先んじて何か申されたいことがあるのならば、出来うる限り聞き届けましょう」

 ランスロットはミルフィーナに向き直ると、努めて冷静な口調でそう言った。 現状のまま審問会にかけられれば断罪は避けられないように思えた。 ランスロットの申し出は想定される幾つかの未来を踏まえた上で、せめてもの心遣いなのだろう。
 ミルフィーナは静かに瞑目すると口を開いた。

「それではヴィルヘルム主席枢機卿に伝言をお願い致します」


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