初稿:2009.04.17
編集:2013.05.25
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※光ノ章の本編です

1-05【残光】


 屍族の少女は、まるで何事もなかったかのように微笑んでいた。 致命傷と思われた刀傷も既に塞がっている。 首元に僅かに残る血線と、紅のドレスに浮ぶ黒い斑点だけが、先の出来事が夢幻でなかったことを物語っていた。

「初対面にしては、なかなか手荒なあいさつだね♪」

 ラールウェアは尖った舌を突き出して朱色の唇を舐める。 艶めかしく蠢く舌先が、その仕草の淫猥さを強調していた。
 ミルフィーナは僅かに身を強張らせると、決然とした表情で長剣を正眼に構える。

「貴女は根無しの下級屍族とは明らかに違うようです。 我が剣でその穢れた魂を屠る前に、名を訊いておきましょう」

「アタシ? アタシはラールウェア―――ラールウェア・オルカザードだよ♪」

 屍族の少女が名乗りをあげる。 その名を耳にしたミルフィーナが言葉を失った。

 ―――オルカザード

 その名を西大陸出身の人族で知らぬ者はいない。
 オルカザード家は大戦以前、バールペオル大陸を支配した五大屍族のひとつであり、上級屍族の中でも最も古く強大な力を持った二十二家と称される名門血族である。 屍族の力はその血の濃さに大きく左右され、血族内に異分子が入ることを好まない。 なかでも、二十二家に生まれた者は、近親婚を繰り返すことにより血脈の純血性を保ち、血統アルカナと呼ばれる特異な力を継承し続ける大屍族である。
 そして、オルカザードの名が人々に知れ渡る最もたる所以は、大戦後の西大陸に直轄領を持つ唯一の屍族であるからだ。 彼らはバールペオル大陸北西部に位置する極寒の大地―――年間を通じて雪と氷に閉ざされた氷河地帯ウルムドラに、長大な外壁を築き、そこに住む人々を支配している。
 だが、古来種の旧き支配から解放された西大陸に、未だ屍族の冥き影が根強く残存する事実は、屍族を異端視するメナディエル教圏の国々にとっては沽券に関わる大問題である。 教皇直属の最高諮問機関である枢機卿会議でも、オルカザード家討伐の議題が挙げられたことは一度や二度ではない。 しかし、それら全てが政務を司る元老院の苛烈な反対に遭い、実行に移されることはなかった。
 それは、オルカザード家が聖剣戦争に於いて人族と屍族、そのどちらにも組することなく、中立を貫いたこととも無関係ではないのだろう。 当時、教会との間に不可侵の密約が取り交わされていたのだと邪推する者も多い。 果てには、同家の持つ不死の秘術を欲した古老たちの独断だという噂もある。 確かに元老院の頑ななまでの態度も、そう考えれば頷ける話だが、どれも憶測の域はでなかった。
 しかし、全てを表立って非難することは出来ない。 個体数で劣っているとはいえ、絶大な力を持った大屍族たちが互いに一枚岩であったならば、聖剣戦争の勝者が入れ替わっていたことも容易に想像できるからだ。 今となってはどのような思惑がそこに潜んでいたのかを知る術はない。 結果として、オルカザード家は、唯一人族側に組したウィズイッド家と共にこの地に残った。 それが全てである。

「それで、ど〜するの? アタシと戦うつもり?」

 ラールウェアは誘うように両手を横に広げる。

「くっ」

 爛と輝くふたつの碧眼に射すくめられ、ミルフィーナは自分の身体が小刻みに揺れ動いていることに気づく。 屍族と対峙するのはこれが初めてではない。 だが、ラールウェアが発する冥い鬼気は、嘗て彼女が倒した下級屍族とは比べ物にならない不気味さを秘めていた。 それは、得体の知れない存在に対する畏怖か憧憬か―――恐らくその両方であろう。 そして、自分が恐怖しているという事実は、ミルフィーナの自尊心を強く打ちのめす。

「(……だが、どうする?)」

 ミルフィーナが苦しげに呻く。 戦うにしてもシャルロットを庇いながらでは限界があった。 それに目の前の屍族には獲物を追い詰めて楽しんでいる節がある。 逃走を許すような生温い相手ではないだろう。 自分の決断がこの場の趨勢ばかりか、守るべき命まで脅かすことに繋がるのだ。 シャルロットの身を案じればこそ、身動きがとれなかった。

「もーまどろっこしいなぁ。 アタシが決めちゃうよ♪」

 ラールウェアの纏う殺気が膨れ上がる。
 ミルフィーナは苦しげに舌打ちをすると、無造作に近づいてくる屍族の少女からシャルロットを庇うように身構えた。

「……偽りの……聖女を、守護するものよ―――」

 苦しげな声。 それは血臭を纏わりつかせながら響いてきた。
 ラールウェアも動きを止めて声の主を顧みる。

「うわっ、まだ生きてたんだ」

 そこには己の生み出した血溜りに沈むフォン=バレル三世の姿。
 事の成り行きを存知しないミルフィーナにも、教皇が既に人間でないことは一目で理解できた。 彼の腹部には、ぽっかりと大きな穴があいている。 既に流れ出る血液も尽き、人間であるならばとうの昔に絶命している筈だ。

「……だが、それも……人間の小賢し……い知恵によって……理解され、る程度の詮無きもの……」
 
 フォン=バレル三世は喉奥から絞りだすように、途切れ途切れに言葉を綴る。 その双眸は深い悲しみと絶望を宿していた。

「聖下……」

 ミルフィーナの胸に抉られるような痛みが走る。
 教皇は女騎士と目が合うと、最後の力を振り絞って小さく右手を振った。 小さな塊が床の上を転がる。 それはラールウェアの足元で止まり―――屍族の少女は目を見開く。

「蛍輝石!?」

 言葉と同時に閃光が膨れて、弾け散った。

「きゃ―――」

 ラールウェアが網膜を焼かれ仰け反る。
 フォン=バレル三世の両眼は永久の闇に閉ざされる寸前、シャルロットを抱えてこの場を離脱するミルフィーナを捉えていた。

「騎士よ……そなたは、己の……信仰を……貫き通すことが……で……き……」

 それが、現メナディエル正教の最高位に座すウェルティス・フォン=バレル三世の最期の言葉だった。 彼は断末魔の痙攣に全身をわななかせると、口から血泡を吐き息絶えた。


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