初稿:2008.10.07
編集:2013.05.23
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※光ノ章の本編です

1-00【世界】


 アダマストル北東部―――タブリス森林を抜ける旧街道。 古くは巡礼地を結ぶ参詣道として賑わったが、大陸行路の整備事業によって今では放棄された廃道である。 近年、人々に忘れ去られて久しい行程を、複数の騎影と一台の箱馬車が緩やかに走る。
 騎手は全て白銀の甲冑を纏った女性であり、その乗馬は頭部から頸部、胴体に至るまでを装甲化された軍用馬であった。 彼女たちが護衛する四頭立ての箱馬車は、紅の天蓋から美しく弧を描く金銀螺旋細工の施された壮麗な造りで、そこに搭乗する人間の身分の高さが窺えた。
 アレシャイム教皇庁を目指す聖女と守護騎士団の一行である。
 娘子軍は比較的に安全を確保出来る海路ではなく、敢えて危険を伴う陸路を選んだのだ。 船旅は外敵に襲われる可能性こそ減るが、いざ襲撃を受けると、致命的な結果を招きやすい。 なにより、不測の事態への対応策が練りにくいのだ。 よって相対的に判断すれば、どちらも険難な道程であることに変わりは無いのである。 ならば、常道である海路を選ぶよりも、選択肢として希有な陸路を選び、外敵の目を欺こうと講じたのである。
 教会船を囮として、これら全ての計略を練ったのはミルフィーナであった。 そして、ここまで細心の注意を払うのには理由があった。
 西大陸の大半はメナディエル教圏であり、聖女を害しようと企てる存在など、一見皆無に思われがちだが、内情は違っていたのだ。
 現メナディエル正教は大きく二つの宗派に分かれている。 ひとつは、女神を唯一無二の存在として、全信徒はその神託によって導かれると定義する白十字教。 もうひとつは、女神の器として聖剣戦争を勝利へと導いた神の子アルジェベータ―――聖女の血を受け継ぐ一族を神格化して、崇敬の対象とした聖アルジャベータ公会である。
 両宗派の教義は似て非なるものである。 偶像崇拝を禁止して原理主義を貫く白十字教の信徒にとって、聖女を神格化する聖アルジャベータ公会の教義は、メナディル正教の原典たる聖伝承の教えに背くものであるからだ。 故に聖女の存在は、その真理を根底から揺るがす悪種であったのだ。 しかし、傍から見れば滑稽で愚かしい話でもあった。 上辺では互いの教義の正当性を説いても、裏では互いに利権を巡る権力闘争でしかない。 大陸最大と謳われるメナディエル正教もまた、他の神聖宗教と同じく一枚岩ではなかったのである。

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「フィーナ! あの綺麗な鳥はなんていいますの?」

 シャルロットが箱馬車の小窓から身を乗り出して、高い木の上を指差す。 その声は好奇心に弾んでいた。
 籠姫として、奥宮殿に半ば幽閉されるように育てられた少女にとって、見知らぬ外の世界は、常に驚きと感動の連続であった。 草原を走る風に棚引く草花、見知らぬ街、そこに住む人々の表情―――全てが新鮮なのであろう。 紙上の文字や他人の言葉ではなく、自らが直接触れえる世界は確かに息づき、その瞳に飛び込む全てのものがシャルロットの興味を惹いていた。

「シャルロット様、聖女として相応しい立ち振る舞いを忘れてはなりません。 貴女さまは皆の手本となるべき存在なのです」

「あっ……」

 ミルフィーナの忠言がシャルロットを座席へと押し戻す。

「ごめんなさい」

 シャルロットは淑やかな物腰で乱れたドレスの裾を整えると、悪戯を見咎められた子供のように下を向いてしまった。 だが、暫くすると伏せ目がちな視線をミルフィーナへと送りだす。 ナイトクランを出立してから幾度となく繰り返された光景である。
 居た堪れなくなったのか、ミルフィーナはひとつ咳払いをして、口を開いた。

「ですが、それを心にお留め頂けるのならば今は不問と致しましょう。 シャルロット様にとって外の世界は特別なもの。 感情を抑えろと言う方が酷というものでしょう。 それに、私奴もそのほうが……」

 ミルフィーナはシャルロットの生い立ちに想いを馳せて心を痛めた。 聖女としての宿命をただ享受するだけの人生。 それがアルジャベータの名を継いだ人間に与えられた唯一の選択肢だった。 なんの疑問も抱かずに―――いや、きっとそう仕向け育てられた少女に対する様々な感情がそこには含まれていた。
 しかし、ミルフィーナの臣下としての領分が危うく洩らしかけた私心を封じる。

「……そのほうが?」

 シャルロットは語尾を濁したミルフィーナに先を促す。

「い、いえ……。 私奴の愚意など、どうでも良いことです」

 動揺したミルフィーナは己の心裡を悟られまいと横を向いてしまう。 その頬が赤らんで見えるのは夕陽のせいだけではないだろう。

「でも、わたしは聞きたいわ」

 シャルロットは腰を上げると、席を移してミルフィーナの横顔を正面から覗き込む。 こうなると、手狭な箱馬車のなかでは逃げ出すことも叶わない。

「そ、それは……」

 すっかり逆転した立場にミルフィーナが口篭る。 そもそも、とりたてて隠すようなことでもないのだが、何か後ろめたい感情が含有しているのではないかと勘繰ってしまう。

「そ、そうです。 先程の質問ですが、あれは雪瑠璃といって青紫の背中に白い胸、脇腹に走る朱線模様の色彩が美しい小型の野鳥です。 大陸北東部の低山帯や亜高山帯で主に繁殖しますが、この時期は越冬する為に大陸を南下して、アダマストル周辺でも多く観察されます」

 ミルフィーナは多少裏返った声で一気に捲くし立てた。 どうやら気まずさに耐え切れなくなり、シャルロットの興味を逸らそうと試みたようである。

「え、あっ……そう、あの美しい鳥は渡り鳥なのね。 自由に空を飛びまわり移り往く季節を感じ、自分の在り処さえ変えてしまう。 籠の中に閉じ込められたわたしとは真逆な生き方……」

 シャルロットは黄昏色に染まりつつある遠景に視線を移していた。

「シャルロット様……」

 ミルフィーナはほっとした反面、シャルロットの見知らぬ横顔に言葉を失う。 そこにあったのは生気の失われた能面のような表情であった。 守護騎士団の正式叙勲を授かって、シャルロットの守護役を務めるようになって五年になるが、このような無機質な様相を見たのは初めてであった。

「フィーナは自分が自由であると思いますか?」

 シャルロットの口からまるで抑揚のない声が洩れる。 柔らかな斜光が箱馬車の窓越しに少女へと降りそそいでいた。

「私奴は守護騎士団の聖務に誇りを持っております。 思うままに生きるという意味であるのならばシャルロット様をお守りすることが、このミルフィーナ・ド・グラドユニオンの本懐であります」

 力強く揺るぎないミルフィーナの意志。 その言葉には彼女なりの自負と矜持があった。

「わたしは……」

 シャルロットは頭で理解していても“自由”と呼ばれる概念が本来どういったものであるのかの実感はなかった。 籠姫として俗世と隔絶されて育てられた為に、人種や貧富の差など、社会に存在する隔たりに触れたことがなかったのである。 故に不可視の価値を相対して比べる術を知らなかった。

「……本当のわたしを知らないから」

 シャルロットは息苦しい沈黙のなか独り言つ。
 外の世界に対する強い憧れと、ともすればそれと引き換えにして、自分という存在を象る全てを失ってしまう恐怖。 相反する感情の狭間でシャルロットの心は揺れ動いていた。


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