初稿:2016.02.06
編集:0000.00.00
<< 前の話   次の話 >>
※※血ノ章の本編です

4-06【屍妹】


 硝子杯にウリクス銀貨を投げ入れて宿酒場から駆けでる。 周囲を忙しなく見渡すが、目視できる範囲にプルミエールの姿はなかった。 制御不能なフーテン娘だが、ラグナウェルにだけは従順だったので油断した。 だが、よくよく思い出してみると、兄の指示は「宿で待っていろ」ではなく「宿をとっておけ」である。 行間を読まずに、額面通りに解釈したのだろう。 人族は全て同じ祖先から進化した同一種と定義されているが、進化生物学に一石どころか二、三石投じたくなる単細胞ぶりである。

「まずい、非常にまずい この状況は壊滅的だわ」

 このままではアーネルの評価を下げるどころか自己株が大暴落。 完全に底値を突き抜けそうだった。 悪ければ殺される。 「ああ、お義兄さまにくびり殺されるなんて、ちょっとステキかも」などと身悶えてみたが、はたと思い直す。

「殺されるのは構わないけど、アノ女がのさばるのは気に入らない」

 ラールウェアは小さく舌打ちすると、親指の先を噛み切る。 裂けた皮膚の間から赤と黒で彩られた小型の甲虫“伝蟲”が姿を表した。

「お義兄さまの許へ」

 宿主の意思を汲みとったのか、伝蟲は後翅を羽ばたいて宙に舞い上がる。 プルミエールがラグナウェルの後を追ったのは、その言動からも間違いない。 持ち前の野生の勘は侮れず、辿り着く前に確保する必要がある。 ラールウェアは周囲を警戒しながら追跡を開始した。 伝蟲は遠距離間の伝達目的に使役される千年蟲毒の一蟲だが、血を与えた者に帰巣する習性を利用すれば、こういった使い方もできる。
 グラーゼのような常昼の地下都市であっても、宵闇が過ぎると街の様子に変化が生じる。 表通りに面する繁華街から人波が途絶えることはないが、閑散とした裏通りには退廃と堕落の色が増す。 街角ごとに建てられた蒸気灯の下では、麻薬の売買や売春の斡旋など違法行為が横行する。 薄暗い路地裏は、夜の住人の社交場へと一変していた。 この物騒極まりない空間で、場違いに豪奢なドレスを纏った少女は嫌でも人目を惹いた。 其処彼処から下卑た視線が投げかけられる。 たが近づこうとする者はいない。 ラールウェアの碧眼に宿る冥い燐光が、それを許さなかったからである。 可憐な容姿の内側に潜むヒトならざる存在を、屍族と共存するクロスメイデンの民は知悉しているのだ。
 暫く進むと旧貨物積み出し地区に差し掛かった。 商業区に煙土竜の鉄道網が整備されたことにより、嘗ての物流の拠点は、その役割を終えて久しい。 都市の死角となった同地区は、今や不法投棄の温床であった。 侵入防止の鉄柵に沿って様々な廃棄物が、新手の前衛芸術のように絶妙な均衡を保って積み上げられている。 その大部分は公廨の廃盤鋼炉だと見て取れた。 蒸気機関の発達により、水蒸気を利用した空調設備が普及して、薪燃料を利用する旧型の暖房設備はお払い箱になったのだろう。 西大陸最大規模の鉄鉱石の鉱床を保有するクロスメイデンでは、鉱物資源の安定的かつ効率的な供給が可能なため、屑鉄の再利用率は低い。 溶解する度に、強度や加工性が劣化することから精錬技術の限界もあるのだろう。 地域柄、大規模な需要が見込まれる暖房設備の発展は目覚ましいが、急激な技術革新は環境問題との戦いとも言えた。
 鉄柵の隙間から甲虫が敷地内に入るが、周辺に入口はみつからなかった。 仕方なく、手巾で鼻と口元を覆いながら廃棄物の山に近づいた。 過度の潔癖症なのか、恐々と油塗れの鉄塊を持ち上げて、前方に投げつけた。 直撃を受けた鉄網柵が轟音を響かせながら横倒しになる。 人族の数倍の膂力を誇る屍族ならではの芸当である。 普段なら破壊の屍霊術を派手にぶっ放すところだが、生憎、“インフェルノ[Inferno]”に属する屍霊術の大半は炎術なので、廃油缶が散らばるあくた場での使用は控えたようだ。 指についたギトギトの油を丁寧に手巾で拭き取って敷地内に侵入する。 運搬路の左右には破棄された倉庫群が立ち並んでいた。 繁茂した雑草が石畳をめくり上げて歩き難い。

「ツキが落ちたのかしら」

 愚痴を零したラールウェアが、塗装の剥落が激しい倉庫群の一棟に踏み込む。 割れた硝子の破片が靴裏で派手な音を立てた。 廃屋の中央で立ち止まると、結い上げられた銀髪から筒状の髪留めを引き抜く。 軽く頭を振る動作に、煌めくような白銀が流れ落ちた。 手にした装飾具は東方伝来の“カンザシ”に似た形状だが、唄口と六つの指孔が見て取れる。 唇を添えて、細い息を流し込む。 奏でられた旋律は無音の波長を広げていく。 調べに誘われた伝蟲が舞い戻り、屍族の少女は躊躇なくそれを呑みこんだ。

「いい加減でてきたらどう? そんなお粗末な尾行じゃバレバレよ」

 ドレスの裾を翻してラールウェアが振り返る。

「人が悪いね。 気づいていたならさっさとお言いね」
 
 低い女の声が響き、搬入口から黒い影が倉庫内に伸びる。 年の頃は二十五、六。 蒼い凶眼に皮肉そうに歪んだ赤い唇。 肩に巨大な銃剣を担ぎ、クロスメイデン銃騎士隊の正装の上から日輪柄の羽織を引っ掛けた姿は、獰猛な肉食獣を連想させた。 胸元には白鷲と交差する七本の槍が刺繍されており、この人物が誉れ高き“契剣の七使徒”であることがわかる。 もっとも酔いで赤らんだ顔と、腰帯に吊るした徳利が、全ての印象をぶち壊していた。

「アンタ馬鹿? こんだけ酒臭かったら誰でも気づくわよ」

「まっ、コレだけは止められなくてね」

 女銃騎士が徳利をあおって喉を鳴らす。 自己申告されるまでもなく、生粋の呑ん兵衛なのだとわかる。

「周りでコソコソ這いまわっているのもアンタのお仲間?」

「なんだそっちもバレていたのかい」

 女銃騎士が顎をしゃくると、通用口に潜んでいた銃騎士たちが廃倉庫内に姿を現す。 数は五人、ラールウェアを取り囲むように散開して、銃床を肩口に固定して射撃姿勢をとった。 五本槍の勲章が一人、残り四人は三本槍の勲章の持ち主だった。

「アタシ、すごく急いでるんだけど。 つまんない話ならコロスわよ」

「先に出ていったお嬢ちゃんなら、今頃アタイの部下がとっ捕まえているだろうさ」

 女銃騎士の言葉にラールウェアが舌打ちする。 尾行に気づいたのは白煙の鉄輪亭をでた後だが、どうやらそれ以前から監視されていたようだ。

「ムカツクわね。 どいつもこいつもアタシの邪魔ばかり―――」

 怒気と共に、インフェルノ第二圏“赤熱衝扇”が高速構成されるが、発動する寸前、振り上げたラールウェアの左手がはじけ飛ぶ。 女銃騎士が構えた銃剣の砲口から白煙が上がっていた。 神業にも等しい刹那の精密射撃に驚愕する。

「ベルンハルデさま、オルカザード家の屍族は無傷で拘束しろとの命令ですが」

 五本槍の銃騎士が苦言を呈する。 彼らの作戦行動には明確な指揮系統が別にあるようだ。 もっとも女銃騎士―――ベルンハルデはあからさまに不機嫌になった。 後頭部で一括りにされた長い金髪を後ろ手に払って口を開く、

「仕方ないだろ、屍霊術を使われたらこっちもタダじゃ済まない。 あの偏屈爺は耄碌して現場の苦労なんて忘れちまったのさ」

「ですが……」

「バレなきゃいいのさ。 なにより一度、屍族と殺りあってみたかったんだ」

 ベルンハルデは徳利を大きく傾けて喉奥に酒を流し込んだ。 最後の一滴まで飲み干すと、空の容器を投げ捨てる。 口端から伝う酒を袖口で拭いながら不敵に笑う。

「コロス……、ぜったいにコロス」

 ラールウェアが血走った眼で罵詈を吐く。 手首の切断面から鮮血の噴水が形成されていた。 屍族の再生能力がまったく働かず、出血が止まらない。 既に生命の維持に支障をきたす量の血液を失いつつあった。

「どうだい効くだろう? こいつは対屍族用に製造された特殊弾薬さ。 弾頭に血液凝固を阻害する出血毒が仕込んである。 如何に恒常性機能に優れた屍族でも、これを撃ちこまれたらひとたまりもないはずさ」

 ベルンハルデが次弾を弾倉内に押入れて遊底を閉じる。 つづけざまに標的の両膝を撃ち抜いた。

「……っ」

 ラールウェアが声にならない苦鳴を洩らす。 堪らず膝をついた瞬間、左胸から背中へと銃剣が突き抜けた。 均衡を失った身体が、自分自身の血だまりに沈む。 みるみる紅色のドレスがどす黒く変色していく。

「思ったより呆気なかったね。 まぁ、初っ端にアレをぶち込まれたら仕方ないか」

 ベルンハルデは投擲姿勢を正して、ぴくりとも動かないラールウェアに歩み寄る。 心臓を貫通した銃剣を引き抜き、ひとふりで刀身から血の珠を払う。

「ベルンハルデ隊、撤収するよ」

 と一声命じて踵を返す。 だが、搬入口の手前で、ぞくりと悪寒が疾る。 振り向いた先で、遺体の収容作業を担っていた三本槍の銃騎士が、全身を痙攣させて口から血泡を噴きだした。 同様の症状が周囲に連鎖的に波及していく。

「離れろっ」

 叫びつつベルンハルデが背後へ飛び退く。 突如、ラールウェアの身体から流れでた血液が紅黒い霧となって廃倉庫内に充満した。 それはおびただしい数の魔毒蟲だった。 幾千、幾万の凶蟲、呪蟲、疫蟲―――数多の厭魅を司る千年蟲毒が溢れだす。 まるで地獄の釜の底が抜けたかのような光景だった。 呑みこまれた銃騎士たちが細胞の一片一片を貪り喰われる。 腫瘍と化した四肢が破砕を繰り返し崩れ落ちていく。 正気を狂わせる羽音に空気が震え、怒声と悲鳴が呼応する。 濃い闇が一帯を包んだ。

「なんだこれは……」

 立ち尽くすベルンハルデの目の前で、配下の銃騎士たちの命が削り取られていく。 異常な状況に、現実感を喪失する。

「これは千年蟲毒―――アタシのかわいい蟲供たちよ」

 巨大な黒き獣と化した蟲群。 その開かれた咢の中心でラールウェアが微笑んでいた。 破れたドレスから覗く白い肌が艶かしい。 胸部や両膝の傷口は完全に塞がり、粉砕された左手も復元している。 それはあきらかに屍族の分を超えた再生能力だった。

「貴様、なぜ生きている? 屍族といえど心臓を潰されて無事で済むはずがない」

 ベルンハルデの双眸に動揺の色彩が滲んでいた。 屍族を滅ぼす手段は限られている。 その最たる例が頭部と心臓の破壊である。 特に血液循環の要たる心臓機能の停止は、例外なく致命傷となる。 肉体を流れる紅血が屍族のチカラの源であるからだ。 血脈を重視して近親婚を繰り返すのも、その純血性を維持する為とされている。

「アタシは千年蟲毒の器。 幼蟲たちが全ての生体機能を代替している。 心臓なんて不便なモノ、生まれた時から持っていないわ。 どうせ潰すなら頭部にするべきだったわね。 それなら少しだけ再生に時間がかかったと思う。 どちらにしても、母体をこれだけ壊されたんだから、あの蟲たちが怒るのも無理ないわ」

「ならば貴様のドタマを吹き飛ばしてから、一匹残らず害虫駆除をするまで―――」

 銃口をあげたベルンハルデが、血臭の混じった咳をする。 身体中から血泡が浮き上がり、苦鳴と共にその場に膝をつく。 既に心身を厭魅に蝕まれていたようだ。
 血塗れの女銃騎士にラールウェアが無造作に近づいていく。

「アンタにはお気に入りのドレスを台無しにされているから、すぐには殺さない。 断末魔まで喰らい尽くしてあげる」

 氷のような声が飛び、靴先でベルンハルデの顎を蹴り上げる。 仰け反った頭部を前髪を掴んで引き戻す。 舌なめずりをしながら切れた唇から溢れる鮮血を舐めとる。 血の味が情欲を掻き立てる。 ラールウェアはうっとりするように碧眼を細めた。 淫猥な指使いで銃騎士隊正装の下から突きでる豊かな双丘を捏ね回した。

「色情狂のバケモノめ……」

 屈辱に、半死状態だったベルンハルデが口をすぼめて血の混じった唾を吐きかけた。 怒り狂ったラールウェアが掴んだ頭髪を引き千切る勢いで、女丈夫の頭部を石床に振り落とす。 血飛沫が散り、脱力した身体が仰向けに転がった。

「ナニか言った?」

 気に入らなかった。 これだけ痛めつけても、ベルンハルデの両眼から意志の光が消えない。 人族は苦痛や恐怖に脆く、容易に屈服するものだと考えていた。 事実、今まではそうだった。 苛立ちのまま高い踵で女銃騎士の顔面を踏みつけて、体重をかける。 呼吸を潰されてのたうつ四肢。 逃れようと、足掻いた手指が黒タイツを引き裂き、少女屍族の右脛に赤い線をひく。 純粋な力比べでは、一枚も二枚も屍族に分があった。

「アタイらは、公国の、勅命で……動いている。 こ、このまま……逃げ切れる、などと……思う、な」

「逃げる? は、そんなことするわけないじゃない。 アンタがさっき言った通り、バレなきゃいいのよ―――ん?」

 ベルンハルデの頭部にかかる圧力が、不意に薄れた。 ラールウェアの顔が頭上に向けられている。 蟲群の羽ばたきと蠕動に、外部からの羽音が混ざったことに気づいたからだ。 破れた天井の隙間から一匹の伝蟲が廃倉庫内に舞い降りてくる。 それは少女屍族の耳孔に入り込むと、後翅を振動させて可変長符号化された信号を伝達した。 蟲群の放つ轟音のなかで、別種の沈黙がおりる。

「運がいいわね。 お義兄さまから招集がかかった。 アタシに従うなら命だけは助けてあげる」

「誰が貴様などに……」

 圧迫から解放されたベルンハルデが銃剣を支えに立ち上がる。

「ひぃ・ふぅ・みぃ……まだ息のある銃騎士がいるみたいね。 もっとも、そう長くは持たなそうだけど、アタシなら助けられるわ。 どうする?」

 ラールウェアの視線の先で、血みどろの銃騎士が三名、蟲群から這い出してきた。 傍目にも生きているのが不思議なほどの重傷だった。

「クロスメイデン銃騎士隊に死を恐れるものなどいない」

「ふーん、そんなふうにはみえないけど」

 そう言って指を鳴らすと、瀕死の銃騎士の内一人の頭部が膨張して、脳漿まき散らしながら破砕した。 死臭を嗅ぎつけた地蟲が群がり、皮膚や筋肉、内臓が喰らい尽くされて瞬く間に白骨化する。 立て続けに二人目の銃騎士が同様の末路を辿った。 残ったのは、五本槍の銃騎士だった。 ラールウェアは手遊びに興じる幼子のように無邪気に笑い、最後の目標に狙いを定める。

「ま、まて、わかった……、言う通りにする」

 ベルンハルデが下唇を噛みしめて苦渋の決断をした。 騎士の矜持よりも、部下の命を守ることを優先したようだ。 その言動から好戦的な性格であることは疑いようがない。 戦いの中で死ぬ覚悟もあるのだろう。 だが身内の生殺与奪を担うほど非情にはなりきれなかったようだ。

「最初から素直にそうしなさい。 ともあれ、馬鹿プリをとっ掴まえるのが先決ね。 あーそれと仕立て屋に行きたいわ。 こんなボロボロのドレスじゃ、お義兄さまを誘惑できないもの」


<< 前の話   次の話 >>