初稿:2011.04.11
編集:2013.05.19
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※血ノ章の本編です

0-01【血契】


 ―――同じ夢をみる

 一人の女性の顔が浮ぶ。
 自分を呼ぶ温かな声。
 優しく包まれる安らぎの記憶。

 ―――愛を望んだ

 愚かで、空虚だった器が満ちる。
 だが、いつしか虚ろな永遠を、漆黒の影が蝕む。
 皮膚が溶け、肉が腐り、骨が崩れ落ちる音。
 必死に逃れようと足掻く。 虚しく空転した四肢が地を這いずる。

 ―――弱さは罪だ

 物言わぬ人形と成り果てた抜け殻の手をとる。
 そこに彼が求める温もりは存在しなかった。

 ―――咎めるような絶叫

 彼の魂は現実を拒むかのように炎に焼かれる。
 堪え難い喪失感に精神が崩壊しかけた時、
 鼓動を感じた。
 心が戻る―――いや、自ら繋ぎとめる。
 そして、ゆっくりと両眼を開いた。

「おはようのキスは欲しい?」

 あどけなく無邪気に嗤う声。
 彼―――ラグナウェルの視界に魔性の美貌を宿す少女が映りこんでいた。
 少女は悪趣味なほど豪奢な造りの寝台の上、横たわるラグナウェルに覆い被さるように身体を預けている。 両者の同系色の長髪が溶け合って、銀色の流れを形成していた。

「お前は?」

 混濁していた意識が序所に覚醒する。 同時にラグナウェルの本能が警鐘を鳴らす。
 右腕を伸ばして少女の喉笛を無造作に鷲掴む。 そのまま躊躇なく、握り潰さんと力を籠める。

「無駄だよ♪」

 少女の浮かべる柔和な笑みは崩れない。

「くそっ」

 せわしない呼吸、体中から汗が噴出して体温が急激に低下していくのがわかった。 制御下を離れた手指が少女の細首を手放す。

「今はアタシの支配下だってことを自覚してね」

 少女の翡翠眼が妖しく輝き、有無を言わさず、柔らかな朱唇を押しつける。 ひとしきり唇を求めた後、ラグナウェルの前歯を割って小さな舌先が口内に侵入した。

「―――っ」

 と、少女が弾かれたように身体を起こす。 口元を押さえた手指の隙間から鮮血が零れ、純白の敷布に紅い華を咲かせる。

「餓鬼が調子に乗るなよ」

 ラグナウェルは不可視の束縛を断ち切ると、身体を入れ替えて少女を褥へと組み伏せた。 大きく肌蹴られた夜着の内側から、透き通るように蒼白い肢体が垣間見える。

「その牙と肌……屍族か、なぜ俺を助けた?」

 聞き紛うわけもない。 少女の声は、“あの場所”で朽ち果てようとしていた自分を呼び戻したモノである。

「アタシはラールウェア・オルカザード。 お義兄さまとは半分だけど、同じ血が流れている。 それが答えじゃダメかな?」

「俺は屍族を身内にもった覚えはない」

「ウソはよくないな。 お義兄さまからは、こうしてアタシと同じ夜の匂いがするもの」

 ラールウェアは愛しげにラグナウェルの首に手を回す。
 事実、ラグナウェルは人族と屍族との間に生まれた半屍族である。 もっとも、物心がついた時には、既にウェルディック修道都市の地下牢獄に幽閉されていた為、己の呪われた出生を知る術はなかった。 ある人物の手引きで、破獄をした後、全てを知らされたのだ。 以来、彼は正体を隠し、人里に紛れ込んで今日まで生き永らえてきた。

「お前の目的はなんだ?」

 今度は否定せず、真意を質す。
 言葉の全てを信じたわけではない。 しかし、自分に異常な執着を見せる目の前の屍族に対して一分の興趣をそそられたようだ。

「アタシの望みはお義兄さまの望みでもある」

「俺の望みだと?」

「そう、お義兄さまを生み出した全ての因果に復讐を―――」

 ラールウェアの形相は名状し難い狂気を孕んでいた。 それは歪な姿見に映ったラグナウェル自身でもある。

「ククク……」

 ラグナウェルの唇が微かに震え、それは哄笑へと変貌した。
 馬鹿げた妄執に取り憑かれ、記憶に存在する全ての命を死神へと捧げてきた。 そうすることで、己の生きた証をこの世界に刻み込むつもりだった。 道半ばで果てることも覚悟していた。
 あの時、ラールウェアが現れなければ事実そうなっていただろう。

「可笑しいかな?」

「ああ、それをしてお前に何の得がある?」

「お義兄さまはアタシを利用すればいいだけ。 それがアタシの唯一つの望み」

 ラールウェアは凄絶な眼差しをラグナウェルへと向ける。

「俺が死ねと言えば死ぬというのか?」

 そして、それに平然と応えるラグナウェルもまた、尋常ならざる強靭な精神の持ち主だった。

「お義兄さまが心からそう願うならね。 でも、今はアタシの“チカラ”が必要な筈だよ」

「大した自信だな」

「だから契約をするの」

 ラールウェアは徐に首筋をラグナウェルへと晒しだす。

「何のつもりだ」

「欲くて堪らないはずだよ。 信じられないぐらい強固な自制心だけど、そろそろ限界みたい。 でも、あれだけの重症を負ったのだから、それも当然。 不完全な半屍族なら尚更、渇きに抗うなんて無理だってわかっているでしょう?」

「俺は今すぐにでもお前を殺したいのだがな」

 言葉とは裏腹にラグナウェルの喉が鳴る。
 屍族にとって吸血行為とは、身体の恒常性機能と深く関係する根源的な欲求である。 思えば、先程からラールウェアに感じていた興味は、飢餓感の一種であったのかもしれない。

「残念だけど今は無理かな。 お義兄さまを死の淵から連れ戻す為に施した“夜の接吻”の強制力が働いているから。 だからこそ、これは必要な段取りなの」

 ラールウェアの言葉に導かれるようにラグナウェルは少女の穢れなき頸部に牙を立てる。 小さなの身体が一瞬跳ねるように震えるが、それ以上の抵抗はなかった。

「これでお義兄さまの力がアタシのソレを超えた時、アタシの全てがお義兄さまのモノになるわ」

 ラールウェアは己の生血を貪る侵害者の頭部をかき抱いてクスクスと笑う。
 飢渇した喉奥が蠕動する度、ラグナウェルの体中を凄まじい歓喜と充足感が走り抜けていた。 対象の生命そのものを嚥下するように、少女の生血を体内に送り込む。 首元に回された細腕に力が加わり、鋭く尖った爪先が首筋に朱線を幾筋も引いていた。

「その時、俺は真っ先にお前を滅ぼすかもしれないぞ?」

 ラグナウェルは名残惜しそうに少女の首元から口を離すと、獣のような息遣いを漏らす。 偽りは無い。 恐らく、利用価値がなくなれば、誰であろうと躊躇なく切り捨てることだろう。

「それでも構わない」

 ラールウェアは飽きることなく、再びラグナウェルの唇を求める。

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『アタシがお義兄さまを虜にする時間は、たっぷりと用意されているのだから……』

 そして、誰にも聞こえないように心のなかでそっと付け加えた。


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