初稿:2016.01.13
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※月ノ章の本編です

4-11【祟神】


 十数年前、ウェルティス・フォン=バレル三世の宗教改革によって教会令が編纂された。 変革の波は教会全体に及び、綱紀粛正と倹約が図られて、既得権益の温床だった修道会は解体されることになった。 教会財産の透明化の促進に伴い、封建領主層の聖職特権は剥奪されて俗世との癒着の構造は改革されようとしていた。 この一連の粛清により元老院の発言力は著しく低下した。 窮した古老たちは神の御名を以って、嘗ての特恵を取り戻そうと禁忌に触れたのだろう。

「メナディエルの魂のカケラは、長い時間をかけて躯となった器に蓄積していった。 ―――そしてわたしは目覚めた」

「其方はメナディエルなのかや?」

 ミュークの息が荒い。 冷気が氷のように心身に染みこみ過呼吸になる。

「この魂はメナディエルのものですが、記憶や感情はエレシアムという一個体から受け継がれています。 断片化された魂に付随した女神の自我は、時間の経過と共に薄れて、わたしという憎悪の器に呑みこまれたのです。 だから、わたしはメナディエルでありエレシアムでもある」

「古老たちはどうしたのじゃ?」

 精神が思考することを拒んでいた。 だが、知りたいことは山ほどあった。

「身体機能の再生に彼らの手が不要になった時点でご退場願いました」

 婉曲な言い回しだったが、意味するところは明らかだった。 古老たちは錬金術を試行して不老不死を探究していた。 重度熱傷で損なわれたエレシアムの肉体の欠損を補うため、生体精錬を試みていたのだろう。 延命を渇望した古老たちは、己が欲望を触媒に死神を招き寄せてしまった。 皮肉な話である。

「なぜ殺したのじゃ? 邪な存在とはいえ、古老たちは其方を甦らせた恩人ではないのかや?」

「元老院は聖アルジャベータ公会と示し合わせて、シャルロットを殺すつもりだった。 だから排除したの。 これ以上、無駄で無意味な慣習や伝統に罪のない子供が巻き込まれる姿はみたくなかった」

「そうか、シャルロットが脱環の儀を終える前に、聖女の血統を嫡女の血筋に返す必要があったわけじゃな」

 聖女の資質は代々リュズレイ家の嫡女にのみ受け継がれる。 一般大衆にとって形骸化された因習であっても、聖アルジャベータ公会の信奉者にとっては絶対の真理である。 シャルロットの名が聖女の序列に刻まれることは、教義に背反するばかりか、信仰そのものの否定を意味する。 アルフォンヌが商王ヘリソンを通じてミュークに聖女の誘拐を頼んだのも、シャルロットの身の保全が目的だったのかもしれない。 様々な思惑が絡み合った結果、真実はシャルロット本人の口から公表されたのだから、ある意味丸く収まったともいえる。 ただ事実をひた隠しにしていた聖アルジャベータ公会は苦しい。 下賤な憶測を避けるために、教会の正式釈明として真の御子は死産であったと後付されたが、未だ空席となった聖女の継ぎ目に関する発表はない。 その資格者であるプルミエールが行方不明となっているのだから当たり前だ。

「シャルロット姫の話なら俺も混ぜて欲しいものだな」

 茶化すような声には聞き覚えがあった。 振り向いた先にエドゥアルトの姿があった。 その隣ではユイリーンが驚愕の様相で立ち尽くしている。 落盤に巻き込まれたミュークたちを追って、ここまで降りてきたのだろう。

「お母さま……?」

 歩み寄ろうとしたユイリーンをエドゥアルトが押しとどめる。 エレシアムはユイリーンの実母ソフィアの双子の姉である。 見間違えても仕方がないだろう。 それに比べて、青年の方はある程度状況を理解しているようだった。 こちらは抜け目なく聞き耳を立てていた可能性もある。

「なにより、このエドゥアルトを差しおいて美女と密会とは戴けない」

「本当にそう思うなら交代してやってもよいぞ」

 ミュークが皮肉を込めてエドゥアルトに代役を提言する。 できれば本気で受け入れて欲しいと考えていた。

「いやいや遠慮しておこう。 種族を超えた逢瀬の邪魔をするほど無粋ではないからな」

「アホか。 与太話をしておる場合ではないわ。 まったく、一癖も二癖もある輩ばかり集いおる」

 エドゥアルトの口車にのせられたミュークだが、不安や恐怖から己の心を糊塗するには十分だった。 軽口序に内心で「どうせ助けに来るなら、教皇庁を守護する一個騎士団辺りを引き連れてこい」と毒づいた。 もっとも相手が相手だ。 焼け石に水かもしれない。 両者の背後でバルバロトとユイリーンがしたり顔で頷いていたりもしたが、誰もツッコむことはなかった。

「お話しは終わりまして?」

 エレシアムは気分を害した風もなく、悪戯っぽく微笑していた。

「騒がしくなってすまぬな」

「いいえ、お礼をしたいぐらい。 こんな賑やかな空気は久しぶりです。 地上にでる喜びが増しましたわ」

「其方の目的はなんじゃ? 教会への復讐かや?」

 ミュークの視線が鋭利な刃となりその切っ先をエレシアムへと突き付ける。 紅眼に冥い燐光が宿り、闇の深遠を覗きこもうとしているようだった。

「わたしの役割は古き因習から世界を解き放つこと。 教会がその妨げとなるのなら、そうなるのでしょうね。 そしてそれはアナタ方も同様です」

「故に邪魔をするなと?」

「ええ、その為なら、どのような犠牲も厭いません。 わたしがそうであったように、いくらでもアナタたちの代わりは現れる」

 エレシアムはアダマストル王家、強いてはメナディエル正教に纏わる旧態依然とした価値観を廃絶するつもりなのだろう。 そして彼女が選ぶのは最も端的で確実な手段だ。 現体制と対立することは明白である。 教会の改革を望むシャルロットとて、多大な犠牲を伴う急激な変化は望まないだろう。 描いた未来が同じでも、その過程において流れる血の量が違いすぎる。

「なるほど、これはとんだ食わせ者じゃな。 元老院の古老たちのように、不要になった駒は消せばよいか?」

「なにか誤解をされているようですが、あれはシャルロットの命を救う為に致し方なく―――」

「いいや、其方は目的を果たす為、どのような犠牲も厭わぬと云った。 だが一方で罪のない子供を救いたいなどと嘯いて、シャルロット・リュズレイに味方した。 結果的に教会内の聖アルジャベータ公会の影響力は増大することになった。 傍目にも、其方は宿願から遠ざかったようにみえる。 はて、どちらが本当の顔じゃろうか?」

 ミュークは顎をあげてエレシアムを見据える。

「どちらも嘘偽りないわたしですわ」

「ワチキの目に映る其方はひとりじゃ。 なぜならこれらは矛盾しておるようで、実は一貫しておる。 正教にとって聖アルジャベータ公会と白十字教は陰と陽の関係じゃ。 どちらか一方が衰退すれば、もう一方が繁栄する。 だが過去、この天秤が振り切れることはなかった。 その中心にいる教皇が中立を保ち、均衡を図ってきたからじゃ。 其方が目的を果たすには甚だ不都合な体系といえよう。 そこにシャルロット・リュズレイの登場じゃ」

 ミュークが意味ありげにエドゥアルトを見る。 当事者の青年は軽く肩をすくめて言葉を継いだ。

「俺たちはまんまと利用されたというわけか。 聖座の世襲権を独占していたフォン家が排斥されて、教会史で初めて特定教派に所属する教皇が誕生した。 これにより教派間の均衡は著しく損なわれる」

 溜息をついたエドゥアルトを一瞥してミュークは満足気に頷いた。
 併せてシャルロットが初代聖女に神剣アンネシュティフを託されたという噂が本当なら、諸教派の代表も現教皇の声を無視できないだろう。 和解を進めて融和を図ることも夢ではないのかもしれない。 教会に蔓延る腐敗を根絶するには教派を統一するのが一番の近道だ。 そして、全てが果たされた上で聖アルジャベータ公会の虚構に彩られた醜悪な姿が世に露見すれば、嘗ての名声は容易に汚名へと転じる。 いつの世も人心とは移ろいやすく不確かなものであるからだ。

「恐らく、ゲティス・フォンの聖座継承の世襲権を失効させて、インドブルクス家の幼子を聖座に据えようと画策したのは古老たちじゃろう。 その過程で元老院と聖アルジャベータ公会の利害が一致して、古老たちもシャルロット・リュズイレの抹殺に本腰をいれた。 そこから先は其方が話した通りじゃな」

 全てを語り終えてミュークは待った。 短くも長くもない沈黙の末、

「血は争えませんね。 アナタは出会った頃の、アルフォンヌさまにそっくり。 最初は現ウィズイッド家当主の人と成りを見極める目的でした。 人族と同盟を結ぶような風変わりな屍族が、ルドルフさまとアルフォンヌさま以外に存在するなんて信じられませんでしたから」

「変わり者で悪かったの」

 口から飛び出た不平とは裏腹に、ミュークの表情は心なしか嬉しそうにみえた。

「蛍輝石を必要とするのなら、ここまで鉱脈を辿ってくるのはわかっていました。 そして再認識いたしました。 ウィズイッド家はわたしの前に立ちはだかる壁となる。 障害の芽は早いうちに摘み取っておくことにします」

 エレシアムが幽鬼のように覚束ない足取りで近づいてくる。 どうやら“女教皇”の能力を駆使して会話を引き出していたことが見破られていたようだ。 神による死刑宣言など不吉極まりないが、インクル・ノス・クルンに忠告された通りの現実が訪れたのだと考えれば想定内ともいえた。

「早計に失するぞ。 神が一度口にしたことを違えては、信者に示しがつかんじゃろう」

「アナタはわたしの信奉者ではありませんわ」

 痛いところを突く。 一部、古き信仰を貫く者たちを除けば、屍族の大半は無神論者である。

「初志貫徹するなら宗旨替えも考えるが?」

「それなら再誕したわたしの最初の信者として、その身を捧げてください。 神事に生贄はつきものですから」

 どう転んでも結果は同じらしい。 あどけない口調とは裏腹に死の気配が漂う。 エレシアムの毒気にあてられて、ミュークの毛穴のひとつひとつが凄まじい悪寒に泡立っていた。 圧迫感に大気が振動しているようだ。 視線の先で、腰を抜かしたユイリーンをエドゥアルトが抱き上げていた。 生憎、今は他者を気遣う余裕はない。 上手く逃げ延びてくれることを願うしかなかった。

「こいつはやべぇな」

 傍観者を放棄したバルバロトが腰の曲刀を抜いて、ミュークを庇うようにエレシアムと対峙した。 巨漢のうなじの毛が逆立っているのがわかる。

「逃げるのじゃ。 あの者の標的はワチキだけじゃ」

 ここで雁首揃えて無駄死にする必要はない。 まだ希望はある筈だ。  エレシアムの心は完全に闇に染まりきってはいない。 故に心裡を覗かれることを恐れたのだ。 直接闇を照らす光にはなれなくても、生き延びて、その可能性をもった者たちを導いて欲しかった。 などと、慣れない台詞で恰好をつけたミュークの頭部が鷲掴みにされて、強制的に髭面と向かい合わせになる。 見るからに不機嫌なバルバロトがそこにいた。

「な、なんじゃ?」

「それ以上言ったら殴るぞ。 アンタは俺様の相棒だ。 地獄の底までだってつきあうぜ」

「すま……いや、バルバロト、ワチキに命を預けてくれるかや?」

 ミュークは、はじめてバルバロトを名で呼んだ。 この巨漢の心意気に応えるのに、それがもっとも適当だと感じたからだ。

「おう。 命のひとつやふたつ幾らでもくれてやる」

 片目を瞑ってみせたバルバロトに力強く頷くミューク。
 術師としては未熟だが、稀代の天才屍霊術師と謳われたアルフォンヌの血を引いているのだ。 己が天分を授かっていると信じて意識を集中する。 小細工はない。 中途半端な屍霊術では鉱脈に届く前に掻き消されてしまう。 できることはひとつだけだった。 全身全霊で体内に眠る負の霊的原水を活性化させていく。 並行して滅茶苦茶な構成で繋ぎ止めた屍霊を左腕に誘引して、限界まで練り上げる。 暴発寸前の歪な蒼炎の塊が収束して、外衣の袖がはじけ散った。 黒煙が立ち上り肉の焼ける臭いが漂うが、怯むことはない。 ミュークは最後のチカラを振り絞って押し出すように左腕を振り上げる。 渦巻くように霊熱の塊は蛍輝石の鉱脈に吸い込まれて消滅した。 否―――岩壁に蒼白い閃光が帯状に走り、凄まじい質量が溢れだしていく。

「あわわ……変換器もなしにそんなことをしたら」

 遠くでユイリーンの慌てふためく声が聞こえた。

「(それが狙いじゃ)」

 転瞬、飽和したチカラの奔流がマグマのように膨れ上がり破砕した。 以前、ユイリーンが高説をたれていた対消滅の作用を利用したのだ。 落盤に巻き込めば、満足に動けないエレシアムに逃れる術はない。 たとえ魂は不滅であっても、器である人族の肉体を破壊することは可能だろう。

 ―――轟くような大爆音

「レムの不幸癖が本格的にうつったらしいの」

 足場が崩落して、宙に投げだされる。 次からは不幸避け、もとい不幸請負人の少年も必ず同行させようと、ミュークは心に誓った。


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