初稿:2016.01.09
編集:0000.00.00
<< 前の話   次の話 >>
※月ノ章の本編です

4-10【祟神】


「アナタがアルフォンヌさまのご息女ね」

 凛と澄んだ声が語りかけてきた。
 喉の渇きを覚えて、ミュークは何度も唾をのみ込んだ。 舌が張りついて言葉がでない。 吸血衝動にも似た感情に囚われる。 それほどに女の姿は美しかった。 淡い紅色のドレスを纏い、腰までかかる明るい金髪は上等な絹糸のようである。 少しつり上がった目元、整った鼻筋、愛らしくふくらむ口唇。 伝え聞く通りに目の覚めるような美姫である。 だがそれは十七年前の話である。 目前の女が件の人物であるのならば、とうに30歳を超えている筈だ。 しかしその容姿に衰えは微塵もなかった。

「わたしは……、エレシアム・リュズレイ。 “女教皇”の血統アルカナの継承者さまに自己紹介は不要だったかしら?」

「(どういうことじゃ……)」

 抱いていた違和感が膨らんでいく。 混濁した脳内でミュークはその正体を見極めようと試みた。 名乗る瞬間、僅かだが考えるような素振りがあった。 通常なら気にも留めないほど小さな歪みが引っかかる。

「そんなに緊張なさらないで。 ただ、この目で見ておきたかった。 わたしには訪れなかった可能性を……」

 端整な顔がミュークの隣に向けられていた。 そこにバルバロトの姿があった。 異変を察知して追いかけてきたようだ。

「この別嬪さんはアンタの知り合いか?」

「い、いや、既知ではあるが初対面じゃ」

 能天気な物言いに、ミュークは喪失した現実感を取り戻しつつあった。 場を支配していた圧迫感が嘘のように消え失せている。 状況を説明しろと耳打ちしてきた巨漢にプルミエールの母親だと告げて目配せする。 意図が通じたのか、バルバロトは一歩退いて成り行きを見守る傍観者となった。 大雑把な性格だが、ところかまわず我を張るほど愚かではないらしい。

「其方はとうの昔に死んだものと聞いておったよ。 人伝の噂など、とんと当てにならぬようじゃな」

 アルフォンヌの存在がなければ、ミュークも直面している現実を安易に受け入れはしなかっただろう。 母の手紙がエレシアム生存の決定的な証左となった。

「そうとも限りません。 実際、その噂は当たらずも遠からず。 いえ、遠からず当たっているというべきでしょうか?」

 まるで謎かけのような返答だった。

「それはどういう意味じゃ?」

「この世には死よりも苦痛を伴う生が存在するということです」

 エレシアムはぞっとするほど冷たい声で語りだした。

「ウィズイッドの血族であらせられるアナタならご存知かもしれませんが、わたしは17年前に屍族の子を身籠りました。 ルドルフさまに出逢って、他種族でも理解し尊重することができれば、平和的に共存することができると感じた。 わたしとあの人の子供は、教会を……いえ世界を導く存在になると思いました」

「絵空事じゃな。 声高く教理を掲げはするが、宗教の本質は拒絶と差別で満たされておる。 さながら閉鎖的世界に築かれた見せかけの平穏じゃな」

 ミュークが自嘲気に嗤った。 優れた理念や理想は尊きものだ。 だが道理そのものに価値があるわけではない。 例えそれが嘘や方便、打算的な偽りであっても、救われる人間はいる。 嘗てアルフォンヌは、必要なのは不変の真理などではなく、不偏の意思なのだと語っていた。

「ええ、彼らが掲げる平和とは排他的で利己主義に塗れていた。 教会に不都合な嘆願は見向きもされませんでした。 わたしは異端者としてイス家管轄のアンジェスチン修道院に拘引されました。 その後、生まれた赤子は修道院内の別の施設に送られたとだけ伝えられた。 でも、怖くはなかった。 それがルドルフさまと共に歩む未来であるのならば、どのような運命でも受け入れるつもりだった。 ただルドルフさまとの絆―――あの子の命だけは守りたかった。 そんなわたしの気持ちを見越した上で、聖アルジャベータ公会は交換条件を突きつけてきました」

 エレシアムは悄然と押し黙る。 幾許かの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。

「アルル=モア王弟との間に次代の聖女となる赤子を産むことで、全ての罪は赦されるだろうと」

「それがプルミエール嬢かや」

 ミュークは歯噛みするように唇を噛んだ。 ウィズイッド家の屍族として、アダマストル王家とオルカザード家の因縁は知悉していた。 記憶の精査を怠らなければ、もっと別の未来を選び取ることもできた筈である。 過去の自分と向き合うことを拒んだ結果、両家に更なる悪種を植えつけてしまった。 今にして思えば、片腕を失ったことも因果応報なのだろう。
 エレシアムの語る内容は次第に血生臭さを増していった。 月日が過ぎ、要求通りエレシアムはプルミエールを出産する。 だが約定が果たされることはなかった。 修道院が大火に巻き込まれたからである。 記録では修道士や巡礼者も含め、生存者はひとりもいない。

「聖アルジャベータ公会の奸詐であることは疑いようがないの」

 ミュークは断言した。 用済みとなった聖女共々、忌み子を闇に葬り去ろうと画策したのだろう。 目に余る非道な行為だが、聖アルジャベータ公会は聖女を神格化して崇拝の対象としている。 エレシアムの犯した不義を隠匿することは、教派の存続にも関わる大事だ。

「四肢が焼け落ち、最期の瞬間を迎えるまで、わたしはあの子を探しました。 そして死の淵で願った。 ルドルフさまが助けに来てくださることを……」

 エレシアムの両眼が紅色から冥く濁った碧色に変色しつつあった。 体温が刻々と低下していくのがわかる。 加えて足元から地響きのような振動が伝わっていた。 いつぞやのような度重なる地震の影響で、地盤が緩んでいるのかもしれない。 この地を訪れて以来何度か経験した揺れだが、ここも崩壊する恐れがありそうだ。

「でもあの人はこなかった……。 わたしとあの子は見捨てられた」

 エレシアムが嗤う。 そこには明確に負の感情が宿っていた。

「……それは違う筈じゃ」

 ミュークの言葉は弱い。 ルドルフ=オルカザードと面識はあったが、知己の間柄ではなかった。 それでもルドルフを弁護したのは、アルフォンヌが認めた人物であるからだ。

「それならなぜ、あの人は助けてくれなかったの? 修道院に軟禁されて、望まぬ婚姻を結ばされた。 それでもいつかこの地獄のような鳥篭から救い出してくれると信じていた。 だからどのような苦痛も受け入れてきました」

 それは魂の叫びだった。 言葉を重ねるごとに、血涙が滲み出てくるようだ。 純然たる憎悪に触れてミュークの脚が震えていた。 その時、ふと両肩に力強い圧力を感じた。 振り返るとバルバロトと視線があった。 ミュークは、大きな両手に背中を押されて怯みかけた心を奮い立たせる。

「ルドルフにも退っ引きならない理由があったのじゃろう」

「理由……そうね、理由があれば、仕方ない……。 だから今のわたしが在ることも仕方がない」

 エレシアムが憎しみを繋ぎとめるように咀嚼する。 細指が胸元で鈍い輝きを放つ雪儚華を象った首飾りに添えられていた。 雪儚華は星型の白い花弁が美しい高山植物である。 西大陸北方の白竜の峰が生息地として有名であり、同地区を支配下に置くオルカザード家の表紋にも用いられていた。
 ミュークも己の言葉がエレシアムの心に届かないことは理解していた。 今はまだ足りない。 それが何なのかはわからない。 だが見つけなければならなかった。 そしてその為には核心に触れる必要があった。

「其方を甦らせたのは何者じゃ?」

 疑う余地はなかった。 エレシアムは一度死んでいる。 そしてなんらかの方法で生き返っていた。

「元老院の古老たちです。 彼らは回収したわたしの亡骸に反魂の秘法を試みた」

「なぜ、そのようなことを? 元老院のなかにも聖アルジャベータ公会の息のかかった者がおったであろう。 彼奴らにしてみれば、其方が生きていて不都合なことはあっても、得るものなどなにもない筈じゃ」

 ミュークは納得できないといった風に首を横に振った。 間接的にしろ、教会の面子を保つために害した人間を再び甦らせるなど馬鹿げている。 エレシアムが聖アルジャベータ公会の悪行を公に証言すれば、メナディエル正教全体に激震が走ることだろう。 対立教派の白十字教とて、教会の権威に傷をつけてまで勢力の拡大を図るとは考え難い。 現実的に起こり得る可能性でもっとも濃厚なのは、オルカザード家の介入である。 元老院は古くからオルカザード家と密接な繋がりがあった。 同家の千年蟲毒の秘術が、古老たちの悲願である不死の探究に必要不可欠なものであったからだ。 だが実情、その線も薄いだろう。 ルドルフの一存でオルカザード家が動くとは思えない。 それが可能ならこのような悲劇は回避されていた筈である。

「いや、そもそもそのようなことが可能なのかや?」

 どのような霊薬も術法も世の理を捻じ曲げることはできない。 人智を超えた神の御業を以ってすれば或いは可能かもしれないが、それは奇跡に属するものだろう。

「死人を甦らせることはできなくても、ヒトならざる魂を霊障させることは可能だった。 聖伝承にその記録が残っていたそうです」

「まさか……それは―――」

 ようやく気付いた。 ずっと感じていた違和感の正体について。 エレシアムの碧眼から視線を外すことができなかった。 吸い込まれるような深さに耳鳴りがやまず頭が酷く痛んだ。

「女神メナディエル。 それが古老たちが呼び戻した存在です」

 ミュークは絶句した。 心臓がすさまじいはやさで脈打っているのがわかる。 ヒトの手で神を来臨させることなど本当に可能なのか? いや聖剣戦争時、初代聖女アルジャベータはその身に女神メナディエルを降臨させて人族を勝利へと導いたとされている。 リュズレイ家はアルジャベータの血統を受け継ぐ一族であるのだから、あり得ないことではない。 だが話があまりに大それている。 俄かに信じられるものではなかった。


<< 前の話   次の話 >>