初稿:2013.08.05
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※月ノ章の本編です

4-08【奈落】


 肌を侵食する冷たい感触に、意識が急速に覚醒する。 目を開くと、バルバロトの安堵の息が頬にかかった。

「無事か?」

「うむ、其方のお陰でな」

 頭上では断層上に輝く蛍輝石の鉱床が広がっていた。 どうやら崩落に巻き込まれて更なる地底へと呑み込まれてしまったようだ。 岩肌の侵食状態から地殻変動で形成された自然洞窟の類だと判断できる。 身体を包む冷気の正体もすぐにわかった。 見渡す限りの広大な水面。 不幸中の幸いか、真下が地底湖だったようだ。 水位は巨漢の胸元まであり、抱えられた身体の後ろ半面が冷水に浸っていた。 落盤した蛍輝石の結晶が水没しているらしく、湖水が蒼白く輝いている。 心身を蝕む虚脱感は和らいでいるが、この深さだと、降りて歩くことも儘ならない。 屍族は種族特性で水に浮くことができないのだ。

「すまぬな、浅瀬に移動するまで抱えて貰えると助かる」

「構わねぇさ、女を抱くのは嫌いじゃないしな」

 バルバロトが白い歯をこぼして、にんまりした。
 一方、ミュークは巨漢に異性として意識されているとわかると、形容し難い面映ゆさを覚えていた。 純粋な好意を向けられることに慣れていないのだ。 大抵の人族は、屍族に対して本心を隠して接するものだ。 プルミエールやこの巨漢のような単純馬鹿は珍しかった。

「どうやらはぐれちまったようだな」

 巨漢は、慎重に水域を移動しつつ、ユイリーンとエドゥアルトに呼びかけている。 耳を澄ましても、野太い声が洞窟内に反響するだけで、応答はなかった。 既に蛍輝石の光源からは、遠く離れてしまったが、辺りは無明の暗闇ではない。 岩壁の所々にヒカリゴケが群生しており、人族でも平衡感覚を保つ程度の視野の確保は可能だった。 それでも屍族の暗視眼に頼ったほうが確実なので、先導はミュークの役割である。

「あのふたり、殺しても死ぬような玉ではない」

「そう願いたい」

 ミュークの願望を籠めた言葉にバルバロトも頷く。
 岩盤の崩落は霊廟を中心として、すり鉢状に引き起こされた。 中央付近に居た自分たちよりも、巻き込まれた可能性は低いだろう。 どちらにしても、今は地上を目指すことが、優先された。
 不気味に静まり返った幽冥の空間に、巨体が水を掻き分ける音だけが反響している。 地底湖は横穴を水路として大小様々な空洞へと流れ込んでいるようだ。 肌に感じる僅かな空気の流れを頼りに、上流部を目指す。 階層構造となっている地下洞窟を延々と進む内に、湖底に白っぽい瓦礫のようなモノが混じるようになっていた。 注意を促そうとしたが、遅かった。 足を取られた巨漢が派手に転倒する。 水中に投げ出されたミュークは、大量の水を呑み込んでしまう。 手足をバタつかせてもがいていると、太い腕に引っ手繰られるように吊り上げられた。 その際、豊かな膨らみに手が掛かったが、気にする余裕もなかった。 激しく咳き込みつつ肺に溜まった水を吐き出す。

「わざとじゃないぞ」

「わかっておる。 それよりも早くここをでたほうがよさそうじゃ」

 たった今、水中で目にした光景が蘇る。 湖底を埋め尽くすように散らばった人骨の山。 恐らく、地底湖の上流部で破棄された遺骸が、長い時間をかけて運ばれてきたのだろう。

 ―――その時、前方で湖面を打つ音が響いた。 形容しがたい恐怖がミュークの心臓を鷲掴む。

「魚か―――いや……」

 バルバロトが呟く。 黒い影が水中を漂っていた。 かなり大きい。 巨漢も異様な気配を察知したのだろう。 動き易いようにミュークを肩に担ぎ上げる。
 次の瞬間、ふたりの右隣で水柱が上がり、真っ黒な影が躍りかかった。

「ちっ」

 バルバロトはミュークを庇うように巨体を大きく捩る。 “ソレ”は前方の空間を通り抜けて、激しい水飛沫をあげて水中へと消えた。 巨漢の眉間にシワが寄る。 目を落とすと、右腕に鋭利な刃物で切り裂かれたような裂傷が走っていた。

「大丈夫かや?」

「問題ない」

 バルバロトは平然と傷を負った右手で曲刀を抜き放つ。 傍目にも浅い傷ではない。 おびただしい量の血が流れ出して、前腕部が真紅に染まっていた。 恐るべき胆力で傷の痛みに耐えているのだろう。

「それよりも見たか?」

「うむ、しかし……アレはヒトなのかや」

 垣間見た襲撃者は、水生動物の類ではなかった。 不要な肉を極限まで削ぎ落とした痩身の異形。 頭部は面妖な三角覆面で覆い隠されており、半透明の液体に塗れた裸体には、毛のひとつも生えていなかった。 今も異様に長い手足で湖底を這うように移動している。 その上、呼吸をしている気配すらない。 明らかに常軌を逸していた。

「厄介な相手だな」

 バルバロトが吐き捨てる。 如何なる状況であれ、攻守の間合いを見誤るような男ではない。 だが、水中を近づいてきた影が突然視界から消えて、気づいたときには、目の前にいたのだ。 結果、思わぬ深手を負った。 敵の手の内がわからない以上、迂闊には動けないのだろう。

「ワチキを降ろせ。 然すれば、少しはまもとに戦えるじゃろう」

「溺れ死ぬぞ」

 見る見るバルバロトの周囲に、紅の花弁が広がっていく。 敵の変幻自在な攻めに、手傷を負わされているのだ。 致命傷にならないのは、巨漢の持つ野生の勘の賜物だろう。 苦しげに狭められた隻眼に、水中を移動する黒い影が映る。 異形の四肢が波打つように揺れていた。 今は目で追える範囲だが、突っ込んでくる速度は尋常ではなく、対応するのが難しい。

「ワチキの息が途切れる前に敵を倒して助けあげればよい」

「むちゃ言いやがる」

 言葉とは裏腹にバルバロトは直感的にひとつの可能性に辿り着いていた。 攻撃を受ける内に、敵の動きの微妙な変化に気づいたのだ。 疑念が確信に変わると、巨漢は両眼を閉じる。 放たれる殺気を探り、気配が曲線から直線に転じた刹那―――水中の敵に向かってミュークを放り投げた。 一拍遅れて情けない悲鳴が響き渡り、敵の動きが僅かに停滞する。 その逡巡が命取りとなった。

「終わりだ」

 バルバロトは大きく一歩踏み出すと、曲刀を振り下ろす。 鈍い音を奏でて、三角覆面を被った首が弧を描いて湖底に没する。 頭部を失った胴体も暗色の血を滲ませながら崩れ落ちた。

「ああ、そうだった」

 大きく息を吐いたバルバロトは、思い出したように気泡がぶくぶくと立ち昇る水面の真下に腕を突っ込む。

「だぁ〜ナニをする!?」

 引き上げられたミュークは開口一番、非難の声をあげた。 本日、三度目だが、危うく溺れかけて目を白黒させていた。

「いや、アンタの言葉に甘えただけだぞ」

「降ろせといったのじゃ。 投げつけろとは言っておらぬ!」

 自分が以前、プルミエールに似たようなことをした件は棚上げだ。

「どうせ降ろすなら、ああした方が、敵の意表を突けて効率的だろう。 それに直進する時になら危険は少ないと判断したからな」

 巨漢はその理由を説明する。 敵は水面の光りの屈折を利用して、獲物の死角から襲い掛かっていたそうだ。 常に長い四肢で湖底を捉えて移動しているが、攻撃に移る際、推進力を得る為に、流線型の姿勢を整える必要があった。 一連の行動は、一部の大型回遊魚が 大きな背びれを折りたたむことにより、高速遊泳を可能にする様子に酷似している。 故に、その無防備な瞬間を狙った。 見事な機転としか言いようがないが、囮に使われた方は堪ったものじゃない。

「それにしても、もっとやりようがあったじゃろう」

 ミュークはバルバロトの右腕の傷に手巾を巻きつけながら小言を零す。

「それより何だコレは?」

 バルバロトが水面に漂う黒い布切れを水面から掬い上げていた。 前触れもなく巨体が身を屈めた為、ミュークは慌てて止まり木となっている二の腕にしがみついた。

「あの異形が被っていた黒頭巾じゃな」

 ひとつ咳払いをすると、手渡された布切れを検分する。 所々破れて判別は困難だが、額の部分に数字のようなものが刻まれていた。 恐らく通し番号の類だと思われるが、そうなると、この手の異形が他にも存在するということになる。 与り知らない内に敵対しているようで、気が重い。

「ま、ウダウダ考えても仕方ねぇ。 コイツが何者で、どういった了見で襲い掛かってきたかは知らんが、ここに人間が居るってことは、何処かに出口がある筈さ」

 暗く落ち込みそうな状況で、羨ましいほど前向きな性格だ。

「あのような異形をヒトと呼べるならの」

「違いない」

 バルバロトの能天気な笑い声が地底に反響していた。


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