初稿:2013.06.30
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※月ノ章の本編です

4-05【奇縁】


 シーザ港はルブルス島の海の玄関口であり、神都を訪れる巡礼者の拠点となる街である。 しかし、一年を通して巡礼者の列こそ後を絶たないが、よく言えば落ち着いた、実情は、寂れた風体を晒す街並みが広がっていた。 本来なら物流の中心であるにも関わらず、この地は経済の円環から切り離されていたのである。 元々、島全体が教会の領有地で、民に土地の私有が認められていなかったこともある。 加えて商いにも厳しい監視の目があり、民間貿易を制限していたからだ。 だが、新教皇がルブルス島一帯の経済・地権改革を打ち出したことにより、その様相は変わりつつあった。 以前は教会管轄地での商行為は禁じられていたが、今では一定の冥加金を納めることを条件に、商許可申請が可能になった。 石を投げれば巡礼者に当たると皮肉られたこの港に、商船や民間船の姿が見受けられるようになったのはその為だ。 経済が発展すれば、地域も潤う。 それは関税や取引税といったカタチで教会にも還元されることになるだろう。 全ては、清貧を旨とした前教皇とは違い、開かれた教会を目指すことを内外に示す為の第一歩であった。 もっとも、ここまで改革が迅速に成し遂げられたことには理由があった。 政務を司る元老院が全く干渉を示さなかったのである。 そんな教会の内情など知る由もなく、教会に訪れた新たなる夜明けに、シーザ港は漠然とした高揚感に包まれていた。

「雪か……」

 ミュークが気怠そうにアーチ型の硝子窓から外を眺めている。 低くたれこめた雪雲は空一面を満たしているが、本格的な吹雪の心配はなさそうだ。 海流の影響もあり、ルブルス島が属するソウルガユス諸島群は気温の年較差が大きく、同緯度の内陸に比べて冬の訪れは早い。 収穫期が過ぎると、底冷えする冷気が大地に浸透するようになる。

「たくっ、いつまで待たせるつもりだ。 やっぱり、大門の兵士を張っ倒しちまったほうが手っ取り早かったんじゃねーか?」

 バルバロトが物騒極まりない台詞を吐く。 一行がシーザ郊外の宿に押し込められてから、既に半日が経っていた。

「却下じゃ。 缶詰もいやじゃが、異端の烙印を捺されて蒸し焼きになるのは、それ以上に御免蒙る」

 ミュークが呆れたように返した。
 ことの経緯はこうである。 無事に航路を辿り、ルブルス島に到着したのだが、検問所で問題が起こる。 バルバロトの海賊紛いの風体に検問使が疑いの目を向けたのだ。 教会船アメナディル号の船長だと名乗ったようだが、当たり前のように身分証を所持しておらず更に疑惑は深くなる。 先方の態度にも問題はあったが、腹を立てた巨漢が検問使を殴り倒してしまい、結果は見ての通りだ。 ユイリーンの口利きで投獄だけは免れたが、半軟禁状態なのである。 仕方なく、ユイリーンがアリエッタを伴って、一足先に聖宮に赴くことになった。 カタリナ公の書簡を届けて採掘許可を得ることと、大ばか者の恩赦を取り付けるのが目的である。

「だが、アンタまでここに残る必要はなかっただろう?」

「水臭いことを云うなや。 ここまで共に旅をして、ひとり置いていくのは忍びな―――」

 皆まで言い終える前に、ミュークの短躯が巨漢の腕の中に抱きすくめられていた。 恐ろしいほどの馬鹿力で振りほどくことも適わない。 「やめい。 放すのじゃ」などと抗議するが、感涙に咽んだバルバロトには聞えていないようだ。 振り子の錘のように左右に振られながら、ミュークは自分の軽口を呪うのだった。 実際のところは、ただ単に、聖女に合わせる顔がなかっただけなのである。 密着したミュークの顔と巨漢の腹部の間から、「ぐぅ〜」という潰れた悲鳴とも、腹の虫ともとれる擬音が響いた。

「そういや腹が減ったな。 そろそろメシにするか」

 遠のく意識の彼方で、バルバロトが上機嫌で口ずさむ鼻歌が木霊していた。
 気づくと、ミュークはぐったりと長椅子に横たわっていた。 口は災いの元とはよく言ったもので、これではレムリアを笑えない。 視線を横に滑らすと、並べ置かれた寝台のひとつでバルバロトが盛大にいびきをかいている。 直に滞在許可が下りると踏んで、同部屋を選んだのだが、ここにきて乙女としての危機感を抱いていた。 先ほど腕力で勝てないと知ったので尚更である。 手篭めにするのはお手の物だが、されるのは遠慮願いたい。 欲望に素直な感慨であった。 ただし、今更部屋を分けを提言するのも、変な想像をしたようで気恥ずかしい。

「う〜む、これは困ったぞよ……」

 頭を捻って打開策を考えていると、不意に扉が叩かれた。 僅かな期待を籠めて誰何するが、現れたのは頭の禿げ上がった恰幅のいい初老の男―――宿の主人だった。 暖炉の薪を継ぎ足しにやってきたようだ。
 ミュークは己が屍族だと悟られぬように、薄く伸ばすように血統アルカナ“女教皇”のチカラを展開する。 その状態を維持したまま、宿の主人の記憶から神都の近況を直に引き出していった。 新教皇は即位後、教会内外から有能な人物を積極的に要職に据えていることから、開かれた教会という印象を持っているようだ。 加えて、悪徳官吏を徹底して取締まるなど前教皇の意志も尊重しており、一般市民からも広い支持を集めているらしい。 意識の表層に漂う記憶で、不審な点は特にない。 ただひとつ、最近になって小規模な地震が多発していることを不安視しているくらいだ。 元々、ソウルガイス諸島群は過去の地殻変動で大陸から分離して誕生した陸島である。 地震はこの地域の名物にも数えられている為、気に留めることでもないとミュークは判断した。
 宿の主人が退出するのを待ち、窓辺へと移動する。 表街道は既に一面の銀世界だった。 揺らめきながら舞い落ちる白雪だけが世界で息づいている。 ふと、ミュークの視界に人影が映った。 暗闇の中、はっきりとは視認できないが、二人連れである。 長椅子に戻り暫し待つと、扉が開け放たれて、雪崩れ込むようにユイリーンが駆け込んできた。 少女は一目散に暖炉に駆け寄って、ガクガクと震えながら衣服に付着した雪をはたき落としている。 落ち着くまで、話は聞けそうにない。 仕方なく別の疑問を先に解決することにした。

「そちらは何方かな?」

 ミュークが扉口に佇む若者に訊ねる。 整った容姿に皮肉な光りを宿す碧眼。 白銀色の長髪にはひと房だけ斑な紅が混じっている。 民族衣装風の白服に赤と紫の絹紗を肩から斜めにかけた井出達は、まるで東方の踊り子のように見えた。

「俺の名はエドゥアルト・ラガ・ディファル。 公務を離れることが適わない新教皇の正史として参上つかまつった。 教皇庁はウィズイッド家のご令嬢殿の来訪を歓迎するとのことだ」

「このような些事に教皇の正使がお出ましとは随分と仰々しいの」

 どうにも腑に落ちない。 ウィズイッドの名がでたことも気になるが、青年の口振りでは、教皇自らこの場に訪れることを望んでいたように聞える。

「此方にもいろいろと都合があるのさ。 それに種族を問わず、アナタのように見目麗しい女性の相手は、このエドゥアルトの役回りだからな」

 エドゥアルトと名乗った青年は芝居がかった仕草で傅くと、ミュークの左手の甲に恭しく口づけをした。 相手を大屍族と知った上で、気後れすることもなく平然としている。 軽薄な風貌とは裏腹に豪胆な心臓の持ち主である。

「褒め言葉として受け取っておこう。 それで蛍輝石の採掘許可と、そこで寝ておる大ばか者の処置はどのように?」

「検問所の件は不問にするとのことだ。 採掘に関しては、此方の提示する条件を飲んで下されば、教会から正式な許可が下りることになる」

 青年の言葉に、ミュークは抱いた違和感の正体に合点がいく。 検問所でのいざこざを処理するだけなら、行政官を通じて書簡を交わせば済む話だ。 わざわざ、特使が赴く理由などない。 この青年は交渉人として遣わされたのだろう。

「して、その条件とはなんじゃ?」

「アナタ方の目的を公にして、教会の支援を受けいれて欲しい」

 勿体振っていた割りに安直な要求だった。 拍子抜けするほどだ。

「問題ないと云いたいところじゃが、ワチキの一存では決められぬな。 カタリナ公女が水面下で救出策を練っておることも聞いておるのじゃろう?」

 ミュークが回答を濁す。 全てを知った上での裁可であるなら、些か早計過ぎると思えた。
 勿論、事実を公にする利点もある。 単純に教会の力を最大限に利用することが可能になる点だ。 一枚岩とは言い切れないが、市民階級にまで裾野の広がった教会の情報網は侮りがたい。 逆に欠点は、カタリナ公女が危惧するように、敵を刺激して不測の事態を招くことだろう。 どちらが正しいと判断するのは難しい。 要は長期戦に持ち込むか、短期の決着を望むかの差でしかない。 だが、聖女の気持ちも理解できる。 妹を救い出す為に尽力したいと考えるのは当然だろう。 現状、人質の命に危険がなくても、これから先もそうであるとは限らない。 慎重を期すカタリナ公女とは相反するが、プルミエールの無事を願う心は同じなのだから。

「その辺のすり合わせは教会が責任を持つそうだ」

「そういうことなら、ワチキが口を挟む余地はない」

 どちらが正しいとも判断できぬ以上、ミュークも当事者である血族の意向に従わざるを得ない。

「交渉成立だな。 これでようやく肩の荷が下りると言うものだ」

 エドゥアルトは実際に重荷を担いでいたかのように、右肩を軽く回して固まった筋肉を解していた。

「しかし、慎重論を推すわけではないが、なぜそこまで事を急く必要がある?」

「それが、教会の未来に繋がることだからさ」

 エドゥアルトは新教皇の驚くべき真意を明らかにする。 聖女は種族の垣根を越えた未来を、この地に実現するつもりらしい。 無論、人族と屍族の間に生じた軋轢を取り除くなど並大抵のことではない。 恐らく前に進むほど自分自身も傷ついていく、茨の道であろう。

「尊き信念じゃが、この件とどのような関わりがあるのじゃ?」

「あるさ、屍族が人族の王女の命を救いだす。 この事実は大きい。 世の中、大半の人間は物事の表層のみに目がいく。 しかも、その屍族がウィズイッド家とくれば、様々な憶測を呼ぶことになるだろう」

「ふむ、確かに其方の云う通りかもしれぬ」

 聖剣戦争時に唯一人族に組した大屍族が、変わることなく正道を貫いている。 そうなれば、ウィズイッド家の汚名は払拭され、世間の屍族を見る目も変わるだろう。

「この手の英雄譚には大抵尾ひれが付いてまわるもの。 此方の想定以上の効果を及ぼすことだろう。 その事実を掲げて、教会改革を進めるわけさ」

 エドゥアルトの相貌に一瞬だけ自嘲するような笑みが宿るが、直に小憎らしいほど平然とした表情に戻る。

「ウィズイッド家の現当主としては悪い話ではない。 じゃが、身内の窮地を利用しているようで鼻持ちならぬな」

 ミュークが歯に衣着せぬ正直な感慨を洩らす。

「裏の理由にシャルロット姫は関知していない。 彼女はひたすらに妹君を助けたい一心で教会の協力を申し出ただけだ」

「では、喰えない知恵者の入れ知恵というわけかの」

 影に聖女の理想を叶える為に策を講じている人間がいると、青年の言葉は示唆していた。 教会でもそれなりの地位にあり、敢えて汚れ役を引き受ける程、新教皇に肩入れしている人物。 敵になれば厄介だが、今のところその心配はいらないだろう。

「同感だね。 自分は頭脳労働専門で、面倒事は常に弟子任せときた。 毎度毎度、堪ったもんじゃない」

 エドゥアルトは手の平を上に向けて肩を竦めてみせる。 その様子から、こき使われる弟子とはこの青年のことだとわかった。 レムリアがこの場に居たら「その頭脳労働すらサボるミュークさまよりは随分マシです」などと口を滑らせて、ど突きまわされていたことだろう。

「大まかには理解したが、その完璧とも思える草稿にも、二つほど穴がある」

「穴とは?」

「ひとつは、プルミエール嬢を拐かしたのも、また屍族という現実じゃ」

 ミュークの疑念は当然のものである。 首謀者がオルカザード家では、人族の屍族に対する忌避感を煽ることになるだろう。

「俺も最初はそう考えたが、そこにこそ意味があるそうだ。 屍族が聖人君子だと広めることが目的ではないらしい。 善人や悪人といった括りは個人の資質によるものだと理解してもらうことが重要なのだとさ」

「なるほどの、英雄譚と見せかけた道徳譚とは、よくできておる」

 ミュークも青年の師とやらの遠謀深慮に感服する。 屍族を人族と同様の価値基準で判断させて、両者の間に生じた溝を埋めようとしているのだろう。 それは、宗教者の理屈とは程遠い、理智の眼力ともいえた。

「あの偏屈爺は人の世を、基盤の目を踊る駒の如く操る天才だからな」

「じゃが、もうひとつ。 ワチキが裏切る可能性を全く考慮しておらぬ」

 ミュークの紅眼に皮肉の色が宿る。 与り知らぬ間に随分と過大評価になったものだ。 毒を利かせた視線を送るが、青年は動じる気配もなく、にやりと口唇を吊り上げる。 まるで、その問いを待っていたかのようであった。

「その心配はない。 なんといってもアナタはあの首人殿の娘なのだからな」

「ま、待つのじゃ。 其方の云う“首人”とは母上―――アルフォンヌ・ウィズイッドのことかや?」

 思わぬ名前が提示されてミュークの声が裏返る。 喉がからからに渇いていた。 予期せず捜し求めていた母親の消息を掴む機会を得ることになった。

「正しくそのアルフォンヌ殿のことだが―――」

「母上は今何処に? すぐに教えるのじゃ!」

 燭台に立てられた蝋燭の炎が、ミュークの心裡を映し出すように大きく揺らめいていた。 無意識に青年の衣服の襟口を掴んで、力任せに前後に揺さぶる。 豹変したミュークの気勢に余裕の色を崩さなかった青年が鼻白む。

「ぐっ、待て待て……美女に言い寄られるのは望むところだが、こ、この……ままじゃ愛の語らいすら儘ならん」

「世迷言などいいから、さっさと話すのじゃ」

 ミュークは完全に冷静さを失っていた。


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