初稿:2011.02.07
編集:2013.04.19
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※月ノ章の本編です

3-06【捕竜】


 ロア湖は極めて高い塩分濃度を誇り、本来内陸では見られない海産物の生息も確認されている。 同湖が大陸移動によって陸地に閉じ込められた海跡湖であることは、地質学的・生物学的な見地からも立証されている事実であった。

「あった」

 ルムファムが湖岸にそそり立つ断崖の下から顔をだす。

「ご苦労じゃったな」

 ミュークは岩棚から重い腰を上げると、少女の声に応えるように片手を掲げる。 ロア湖に点在する海蝕洞巡りを始めてから、飽きるほど繰り返された一連のやり取りである。

「一か八かの賭けだったが、素直に東海岸に向かった方が正解じゃったか……」

 もっとも、ミュークの言動から鑑みるに、望んだ成果は上がってはいないようである。
 本来、首長竜の捕獲を目的とするならば、水棲竜亜種の生息地として名高いザルタニア湾に向かうのが筋である。 しかし、アルル=モア公国領の最東端に位置するザルタニア湾までは、王都から不眠不休で歩いても丸々一昼夜は掛かる。 往復に費やされる時間を差し引けば、捕竜に割ける猶予は一日が限界であった。 古来より大型竜亜種の捕獲とは、大掛かりな仕掛けを駆使して尚、命懸けの狩猟である。 嘗てはアルル=モア公国にも、首長竜の捕獲を生業とする軍団が存在したが、個体数が少ない上に生け捕りが非常に困難である為、現在では人工繁殖が進んでいる。 到底一日やそこらでどうにかなる問題ではない。 更に、地理に不慣れな点まで考慮すれば、結果は火を見るより明らかであった。 結局、不確定要素が山積する難題に合理的な解決策は見出されず、

「いや、元が海であるのならば、ここにも首長竜の生き残りがおる筈じゃ」

 と、安易に結論付けたわけである。 勿論、ロア湖近隣の漁村で聞き込みを繰り返して、首長竜の目撃例を確認した上での判断だが、ミュークの物臭な気質と柔軟な思考回路が生んだ逆転の発想ともいえた。 なにより、元から穴だらけの大博打なので、多少綻びが増えても取り繕う必要などなかったのである。

「こっち」

 先導するルムファムに続き、ミュークは覚束ない足取りで岩場を下っていく。 ゴツゴツした崖地を暫く進むと、目前に 黒々と顎を広げた岩窟が姿を現す。

「いい加減、当たりクジを引いて帰途に着きたいものじゃ。 レムがいないと不便でならぬ」

 洞口で立ち止まったミュークが疲れたように独り言つ。 これまでの探索では、岩盤の陥没や崩落に始まり、地底に溜まった毒霧を吸い込んで卒倒するなど碌な目に遭っていなかった。 不幸の集積体たるレムリアが同行していないことで、ミュークは因果応報とも自業自得ともいえる役割を演じていたのである。
 一方、ルムファムは臆することなく岩窟に足を踏み入れていった。 少女の背中には己の身の丈ほどの白刃が担がれている。 残り少ない手持ちを遣り繰りして入手した長剣である。 一見して、刃こぼれが目立つ安物で、切断力には期待できそうにない。 しかし、幅広で肉厚な刀身は屍族の強靭な膂力で扱えば、打撃武器としてなら十分役に立つ代物であろう。

「ふむ、思いの外規模の大きな岩屋であったようじゃな」

 ミュークの感嘆の声と湿った靴音が岩窟内に長い尾を引いて反響する。
 洞穴は曲線を描くように緩やかに下方へと傾斜しており、屍族の暗視眼を以てしても、最深部を見通すことは適わなかった。 加えて、少しでも気を抜くと濡れた岩肌に足を取られそうになる。

「いる」

 と、僅かに歩みを緩めたルムファムが事実のみを簡潔に伝えた。

「それは重畳じゃな」

 ミュークの表情に安堵と警戒の念が宿る。 前方に狭まった岩壁の裂け目があり、隙間から金緑色の光が零れ出ていた。 明かりに誘われるように、洞壁の隙間を潜り抜けると、唐突に視界が金緑色の光に覆われる。

「これは……」

 視力を取り戻したミュークは言葉を失った。
 蜿蜒と続いた横穴が開け、現れた岩窟の最深部は岩肌一面に群生した光苔によって幻想的に彩られていた。 そこは半ば水没して、地底湖の様相を呈している。

「人工繁殖された首長竜とは似て非なるものだと実感せざるを得ないの」

 息を呑むミュークの正面、巨大な空洞の中心に枯れ草や流木で築かれた水巣が在り、その上に岩窟の主が悠然と横たわっていた。 退化した四肢と、蒼紫の鱗に覆われた姿は、竜というより巨大な蛇に近い。 首長竜はアルル=モア公国の象徴的存在であり、王家の紋章にも描かれる国獣として広く認知されている。 加えて、古くから水上艇の騎竜にも利用されている為、同国民にとっては馴染みの深い対象でもあった。 しかし、その生態に関しては、十分に解き明かされてはおらず、まだ謎の部分が多い。 一般的な知識としては、気性は温厚で魚介類を主食としていること。 危険を察知すると、水中に強酸を撒き散らして獲物の視界を奪う習性があること。 そして、雌雄同体で十年に一度訪れる産卵期にさえ注意すれば、襲われる心配はないという点なのだが、

「タマゴ」

 ルムファムが首長竜のヒレ状に広がった前足の間を指差す。 そこには、蒼と黒の斑模様が浮き上がった球体がひとつ。 信じたくはなかったが、ミュークも同様の見解を抱いていた。

「随分と間が悪い時機に訪れたようじゃな」

 小さく舌打したミュークの眼前で、首長竜の幾重にも巻かれたとぐろが警戒するように解かれていく。 どうやら、不意の侵入者を撃退するつもりのようだ。

「ルム、出来るだけ首長竜の注意を惹きつけるように立ち回れるかや?」

「承知」

 ミュークの問い掛けにルムファムがコクリと頷いた。 屍族の少女は首長竜を挑発するように抜き放った長剣で水面を打つと、湖水を切り裂きながら水巣の側面に回り込んでいく。

「さて、ワチキもノンビリしておるわけにはいかんの」

 ミュークは首長竜の注意が逸れたことを確認した後、精神を集中させて水巣へと近づいていく。 水に浸かった足元から、身を切るような冷たさが伝わってきた。

「永続的な強制力が何処まで持続するかは分らぬが……。 試してみるしかなかろうな」

 どうやら、教会船での脱出劇と同様に、対象の“精神操作”を行なうつもりらしい。 通常、首長竜を服従させる為には、長い時間をかけて専門の調教師が訓練を施す必要がある。 野生の首長竜であれば、人工繁殖した場合より更に手間が掛かるであろう。 そういった手順を全て省く腹積もりであるようだった。

「こっちだ」

 水巣に飛び乗ったルムファムに、身の毛もよだつ咆哮が応える。
 怒りに任せて喰らいつく獰猛な顎門を、屍族の少女は肘と膝で挟み込み強制的に閉ざす。 そして、間髪入れずに竜族共通の弱点とされる眉間に掌底を叩き込んだ。 だが、首長竜はまるで動じた様子を見せずに、長い尾を鞭のように振るってくる。 その巨体からは想像できないほど俊敏な動きだった。

「くっ」

 ルムファムは身を捩るのと同時に、長剣の腹で丸太のような尾を叩き伏せる。 立て続けに、鈍い打撃音と水飛沫が宙を舞い、衝撃に耐え切れず、広刃が捩じ切られたように半ばから千切れ飛んだ。

「安物」

 後方に一回転して、距離をとったルムファムの額にはふつふつと汗の粒が滲み出ていた。 見事な身のこなしで首長竜を翻弄してはいるが、流石に限界が近いようだ。

「ルム……」

 ミュークも次第に劣勢に追い込まれるルムファムの姿に、焦りの色を隠せない。

「あと少しじゃ……」

 必死に自制して、一歩、一歩、永劫にも感じられる距離を詰めていく。 既に水位は長衣の腰元まで達し、温冷感も麻痺しかけた頃、目前に蒼紫の鱗に覆われた首長竜の背部が聳えていることに気づく。

『我が意は汝の意となり―――』

 ミュークは唄うように言霊を紡ぎはじめる。
 と、その時だった。 首長竜が甲高い咆哮と共に身を捩り、弾き飛ばされたミュークが体勢を崩す。 続けて、のたうつ尾に強打された左上腕部に焼けるような痛みが走った。

「くっ」

 衝撃に霞むミュークの視界のなかで、首長竜の頸部が根元から蠕動していた。 それは首長竜が強酸の息を吐く前兆運動であった。

「(ここまでか……)」

 ミュークは半ば死を覚悟して、きつく両眼を閉じる。
 次の瞬間、強烈な風圧がミュークの頭髪を吹き散らす。 しかし、衣服の溶ける不快な臭いが鼻を突くだけで、身体に異変は感じられなかった。

「ルム!?」

 恐る恐る目を見開いたミュークの眼前にルムファムの姿があった。 屍族の少女は片手を水面に振り下ろした体勢で振り落ちる水滴の雨に打たれている。 咄嗟にミュークと首長竜の間に割り込むと、水飛沫を巻き上げて酸の息の直撃を逃れていたようだ。 無論、全てを避けきれたわけではなく、溶け落ちた外衣の内側には痛々しい火傷症状が見て取れた。 幼い肌から流れ落ちた鮮血が、青く澄んだ地下水と溶解して冥らい闇が広がっている。

「問題ない」

 ルムファムが首長竜に向けて顎をしゃくる。 心配より先に、ヤルべきことをヤレと言わんばかりである。

『我が血の一滴は不滅なる契約となろう』

 ミュークは高らかに叫び、親指の先を前歯で噛み切る。 そして、滲みでた血液を蒼紫の鱗に塗りつけた。 すると瞬く間に、首長竜の両眼から意志の光が消えていく。

「ルム!? 怪我の具合をみせるのじゃ」

 ミュークは軽く首を振ると、焦燥感に突き動かされるようにルムファムを抱き寄せる。 首長竜ばかりか、自身の負傷すら省みずに屍族の少女の安否を気遣っていた。

「任務完了」

 ルムファムは心底疲れたように一言零すと、そのままミュークの腕のなかで意識を失ってしまう。 いつも能面のように無表情な顔が、何処か綻んでいるような錯覚をミュークは覚えたのだった。

 地底湖の中央では、巨大な首長竜が主人に傅くように巨躯を丸めていた。


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