初稿:2010.02.23
編集:2013.06.02
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※月ノ章の本編です

2-08【転換】


「やはり、レムが持っておったか」

 ミュークは差し出された巾着からプリウスの実を取り出すと、指先で弾いて口内に抛り込む。 強く奥歯で噛み砕くと、口腔内に甘い酸味と鉄の味が広がり、心身を苛む渇きの衝動が嘘のように退いていった。

「それで、レム。 病躯のワチキを放っておくほど、大事な用件とは何ぞや?」

 落ち着きを取り戻したミュークは、言葉に多少の棘を含ませて尋ねる。 心情内訳は憤慨半分、興味半分である。

「え〜と、ボク自身、よく覚えてなくて……。 確か……夕刻までは、ここでプルプルさんの監視をしていた筈なのですが……」

 と、レムリアが視線を下げる。 石床の上には、荒縄でふん縛られたプルミエールが、無造作に転がされていた。

「ウガガぁ……ガウゥゥ〜」

 うっかり目が合うと、地鳴りのような唸り声が恨みがましく室内に反響する。 口元で硬く結ばれた猿轡を噛み切らんばかりの剣幕である。

「ていっ」

「ぐがぃ……ぐぅぅ」

 ミュークは足元でくぐもった唸り声をあげる物体にひと蹴り入れると、強制的に黙らせる。

「それで?」

 そして、何事もなかったかのように、レムリアに向き直る。
 他人事とは思えない惨事から、慌てて視線を外すとレムリアはたどたどしく続ける。

「そ、その、気づいたらゴミ捨て場で寝ていて……。 その間の記憶が一切ないんです」

 己の言葉に確信が持てないのか、レムリアの口調は歯切れが悪い。
 俄かには信じ難い奇異な話である。

「ルムは何か知ってる?」

 レムリアは猶予(いざよ)うような口調で、ミュークの肩越しに問う。

「拒絶する」

 一拍遅れて室内に響いたルムファムの声。
 その声に真っ先に反応したのは、無慈悲に質疑を却下されたレムリアではなく、ミュークであった。

「……ルム、いつからそこにおった?」

 振り返ったミュークは、部屋の片隅にルムファムの姿を認めて、半ば呆れたように苦笑する。

「ずっと」

 ルムファムの返答は端的に事実を語るのみである。

「そ、そうか……」

 反応に困りミュークは言葉を濁す。 いい加減にこの“一人幽鬼ごっこ”を止めさせないと、その内、身近な者が心臓発作で本物の幽鬼になり兼ねない。

「突発性の夢中遊行症とかなのかな……」

 一方、レムリアは暗澹たる面持ちで眉根を曇らせていた。 確かに、理性の感知せぬ行動が、記憶からすっぽり抜け落ちていたら不安にもなるだろう。

「ふむ、身体の異変など思い至る節はないのかや?」

 仕方なくミュークも、この安手な推理劇に付き合う。

「そういえば、頭のてっぺんに大きな瘤がありました。 普通に転んでぶつける場所でもないし、気味が悪いですよね」

 レムリアが頭頂部の辺りを擦りながら答える。

「なるほどの……」

 半眼になったミュークが室内を見渡すと、容疑者と思しき人物と刹那的に視線が交差する。 が、それも一瞬で、避けるように明後日の方向へと顔が逸れた。 あからさま過ぎるルムファムの反応である。

「(雉も鳴かずば撃たれまいに……)」

 ミュークは早々にレムリアの失言が齎した悪因悪果だと決め付ける。 もっとも、対象の記憶が吹っ飛ぶ程、問答無用で撲りつけるルムファムの豪胆振りにも少なからず問題はある。

「(状況証拠だけで真相に到りそうなものであるが、大方、その無自覚さ故の惨事なのであろうな)」

 などと、心裡で達観したミュークだが、無論口には出さなかった。 そのほうが見ていて面白いからである。

「ま、その問題は追々片付けるとして、巾着のなかにあった金嚢のことなのじゃが。 どのような不吉の前触れか、中身が空じゃ。 何か申し開きしたいことがあるなら聞いてやってもよいぞ」

 当事者間の問題(人為的な怪異)はさて置き、ミュークは己も実害を被りそうな題材に話を切り替えた。

「うっ……」

 見る見る内にレムリアの顔中に汗の玉が浮き上がる。

「あ、あの……怒らないで聞いていただけますか?」

 息苦しい沈黙の中、レムリアは誤魔化すような曖昧な笑みで伺いを立てる。

「よかろう。 話してみるのじゃ」

 ミュークが促すように咳払いをひとつすると、レムリアは大袈裟すぎる身振り手振りと多少の脚色を加えて、事の顛末を語りだす。

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「―――と、いうわけで、ボクは不可抗力だと思うわけです」

 最期はお決まりの自己弁護で締め括るレムリア。

「畢竟(ひっきょう)、病床に伏せるワチキの看病も忘れて、プルミエール嬢と賭博場で遊び惚けた挙句、全財産を失ったと?」

 ミュークは足元で蠢く柔らかい物体を足先で小突き回しながら尋ねる。

「あ、あの、その言い方だと身も蓋もないのですが……」

 頬を引き攣らせたレムリアが婉曲に意見する。 真正面から抗議すれば藪蛇になることは理解しているようだ。 金銭問題に関しては責任転嫁も可能だが、教会船の一件から失態続きなので、自然と弱腰になってしまう。 そもそも、自分が掴まされた誤情報が原因で、狂い始めた歯車である。 聖女を拐かす千載一遇の好機を逸したことにまで、話を蒸し返されては堪らない。

「それとも、他に申し開きしたことでもあるのかや?」

 ミュークは重ねて疑問調で返す。

「うっ…。 そもそもボクは聖女の誘拐なんて無謀なことは最初から反対だったのに……」

 となれば、発端まで問題を掘り下げねばレムリアに勝機は無い。

「では、レムには些かも責任がないと申すわけじゃな?」

 ミュークはわざとらしく首を傾けて思案顔である。
 全てはミュークが独断で引き受けた話であり、責任の一端は彼女にもある。 しかし、明確な過失が浮き彫りになっている分、形勢は圧倒的にレムリアに不利であった。

「……ミュークさま、もしかしてボクのことお嫌いですか?」

「ワチキの口から直にそれを聞きたいのかや?」

 レムリアの苦し紛れの訴えも、あっさり門前払いをされる。

「全部ボクが悪かったです」

 心が折れたレムリアが、意気消沈して項垂れる。 端から勝機など無かったようだ。

「まぁ、過ぎてしまったことを兎や角云っても始まらぬし宥恕しよう。 それで、ワチキが眠っている間に、何か変わったことはなかったかや?」

 ミュークが、拍子抜けするほど、呆気なく話題を転換する。 どうやらこの馴れ合いを楽しんでいただけらしい。

「それなら最初から許してくれればいいのに……」

 レムリアは恨みがましくミュークを睨む。

「ん、何か云ったかや?」

「なんでもありません」

 拗ねたように口先を尖らせてはいるが、根本は従順なレムリアだった。 気を取り直して再度、口を開く。

「賭博場で耳にした話なので、真意の程は定かではありませんが、宜しいでしょうか?」

「ふむ、レムが全財産をカモられた賭博場でとな?」

 一旦、許しておいて、性懲りも無く話題を蒸し返すところが、ミュークの悪癖である。

「うっ……」

 レムリアは思わぬ不意打ちを受けて絶句する。

「冗談じゃ。 して、それはどのような風聞じゃ?」

「アレシャイムで教皇フォン=バレル三世が暗殺されたそうです」

「ほう、なかなかに聞き捨てならぬな」

 ミュークは僅かに目を見開いて感心を示す。

「そして、その首謀者は聖アルジャベータ騎士団の団長であると実しやかに囁かれています」

 レムリアが語った内容は、ミュークの想像を遥かに超えたものであった。
 人や金の集まる酒場や賭博場には思わぬ情報や儲け話が転がっていることがある。 なかでも各国の世情や政治的動向などは、傭兵稼業は勿論、交易商人にとっても、金相場や物価変動に直結する問題なので得難い情報だろう。 しかし、その大半は流言蜚語の類であり、真実を見抜く経験と、一定の千里眼がなければ痛い目をみるのが関の山である。

「俄かには信じ難いが、一分の真実は含まれておると考えて間違いなかろう」

 理由は簡単、噂はそれを信じるに足る理由付けがあって初めて成立する。 教皇の死などという大それた虚偽を流布しても、直に偽りだと見破られるだろう。 加えて噂を流した発信者に到っては、身元を特定されれば教会法で罰せられ兼ねない。

「それと、どちらかというとこちらのほうが大事だと思いますが……」

「まだ、何かあるのかや?」

「そ、その……」

 ミュークの問い返しに、レムリアは視線を泳がせて言葉を濁す。

「せ、聖女シャルロットが行方不明となっているそうです―――って、うわ!?」

 レムリアが悲鳴を上げながら後退る。 ウネウネと常軌を逸した蠕動運動で迫り来る人影に気づいたからであった。

「むががー!!」

 不気味な唸り声と共に、ブチブチと繊維物が千切れる音が室内に響き渡る。

「うがむが……ゴックン。 それは、どーゆーことですかっ!?」

「ひわっ、プルプルさん落ち着いてください」

 プルミエールは恐るべき咀嚼力で猿轡を嚥下すると、レムリアに詰め寄る。 肉どころか骨まで噛み砕きそうな剣幕であった。

「機は得難くして失い易しとは良く云ったものじゃな……」

 経済的困窮に加え、聖女が行方不明と思案投首な難題が山済みである。 どうやら、今後の指針を一から練り直す必要があるようだった。
 ミュークは薄汚れた天井を仰ぎ深く長嘆した。


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