初稿:2009.10.01
編集:2013.05.31
<< 前の話   次の話 >>
※月ノ章の本編です

2-00【呪地】


「わ、どひぃぃぃぃっ!?」

 不細工な悲鳴を尻目に、ルムファムの手刀が“エサ”に喰いついた竜鳥の眉間を貫く。 粉砕された異形の頭蓋から脳漿と黒血が滝となって降りそそぎ、少女屍族の身体を斑に染め上げた。

「まったく、余計なものまでついて来おってからに……」

 ミュークは小さく舌打ちすると、足場の悪い泥濘を蹴り上げるように歩を進めていた。
 教会船を来襲したグリムデンの竜鳥の群れは、船から逸れた獲物を標的に選んだらしく、ミュークたち一行を追尾していた。

「むぅ……、あのデカ鳥、しつこいですねぇ」

 プルミエールが頭上を旋回する竜鳥を見上げて仏頂面を形成している。 人族の少女は、ミュークの前方をバシャバシャと派手な音を立てながら闊歩していた。 船上でミュークが危惧した通り、夜の眷属である竜鳥は、嘗て主人であった大屍族ベルムード三世と同類である負の魂に惹かれているようだ。 もっとも、野生化した竜鳥に従属の意思は無く、本能のままに血肉を啄ばむ為にである。

「ミュークさまぁ。 後生だから、許してくださいぃぃぃ」

 一方、一行の最後尾では先程から憐憫の声が宙を舞っている。 ルムファムが“エサ”を括りつけた巨大な丸太を振り回し、追いすがる竜鳥をあしらっているのだ。 無論、悲痛な訴えは、“エサ”役のレムリアからである。

「己の不手際が齎した現実じゃ、甘んじて受け入れるがよい」

 振り向きもせずにミュークは、恩赦の要求を突っ撥ねた。

「オニ〜、悪魔ぁぁぁ!!」

 レムリアの罵詈雑言にミュークの柳眉がピクリと反応する。

「“エサ”役は公正に多数決で選んだのじゃ。 文句を云われる筋合いはないぞよ」

 もっとも、公平感が著しく損なわた投票を、民主的解決と呼べればの話である。

「ル、ルム……、ボクはこの世でただ一人の血を分けた双子の“兄”だよ。 まさか見捨てるなんてことは―――」

 ミュークの懐柔を断念したレムリアの矛先は、双子の片割れへと移る。

「ダメ、ワタシがおねーさん」

 しかし、即断即決、別の理由で却下された。 殊この件に関しては、双子共に譲れない一線があるらしい。 そもそも、エサ役選抜投票で、レムリアはルムファムに一票を投じているのだ。 端から同情など買えるわけも無い。

「うぅ……」

 俄かには名状し難い現実に直面したレムリアが苦しげに呻く。 配慮とか慈悲とか労わりとか、対人関係において本来あって然るべき要素が見当たらないのであった。

「牛ちち魔神と凶悪鉄仮面」

 レムリアの恨めしげな呟きに、初めてミュークの歩みが止まる。 幸か不幸か、主人の逆鱗に触れる単語がそこに含まれていたのだろう。

「レム、哀しいことじゃが、世は無常、是非もなしじゃ。 それに、ワチキが頭脳、ルムが手足を担当すれば、残りはお主が担うしかあるまいて」

 振り向いたミュークは、さも残念そうに首を横に振る。

「ボ、ボクの担当って……?」

「“不幸”じゃ♪」

 ミュークがにっこり笑って目で合図する。 小さく頷いたルムファムは、丸太を無慈悲且つ冷酷に空高く晒しあげた。 その様は、上空で旋回する竜鳥に「さぁ、喰え」と云わんばかりであった。

「イヤだぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 レムリアの悲鳴に触発された数羽の竜鳥が、カチカチと赤黒い嘴を閉口させながら次々に滑空する。

「ひわっ」

 屍肉を孕んだ鉤爪がレムリアの額に触れる寸前、ルムファムは丸太を無造作に放り投げる。 そして間髪置かず、懐から取り出した短剣の一振りで、最初に踊りかかってきた竜鳥を肉塊へと変貌させた。 更に続けざま、逃げ遅れた数羽の竜鳥がルムファムの短剣の餌食となった。

「相変わらず惚れ惚れする手並みじゃな。 さて、これだけ屍肉を誂えれば時間稼ぎには十分じゃ」

 ミュークの思惑通り、一行がその場を離れると、生き残った竜鳥が沼地に舞い降りて、共食いをはじめていた。

「今のうちじゃ、先を急ぐとしよう」

 ミュークは投げ捨てられた丸太に歩み寄ると、後ろ手に縛られたレムリアの縄を解く。

「ゼェ、ゼェ……。 なんでボクだけこんな目に……うぅぅ」

 漸くのことで開放されたレムリアは、息も絶え絶えにその場にへたり込む。

「むぅ……、なさけないですねぇ〜」

 プルミエールの歯に衣着せぬ物言いに微苦笑を浮かべるミュークだったが、概ねその感慨には同意見だった。

「レム、泣き言を言う暇があるなら脚を動かすのじゃ。 夜が明け切る前に何処か身を隠せる場所を見つけねばならぬ」

 ミュークが東の空に向かって顎をしゃくる。 薄霧の彼方、サドクリア山脈の稜線が微かに白み始めていた。

「えっ、あわわ……。 そ、そういえば、さっき海に落ちたせいで、陽除けの天然染料が剥がれ落ちてる!?」

 レムリアはびしょ濡れの衣服の袖口を捲くると、ぺたぺたと肌の質感を確かめて青ざめている。

「光を遮るものがない広大な湿地帯で、昼日中を闊歩するのは自殺行為じゃな」

「ど、どうするんですか!?」

 ミュークがしたり顔で不安を煽ると、これは効果覿面だったようだ。 レムリアは慌てて立ち上がり、狼狽した口調で尋ね返した。

「近くに人族の住む集落でもあれば助かるのじゃが、土地柄を考慮すれば期待は出来ぬな」

 サリナハーム南東部に広がるアセリエル大湿原は、大陸最大の湿地帯である。 この広大な水域は、ルルワインなどの固有植物、黒古亀や沼地鹿などの小動物から、大型肉食獣までが生息する動植物の宝庫として名高い。 加えて東部未踏地には、首刈り竜や一角蜥蜴など、危険な竜亜種も巣食っており、ここら一帯は人間が住むには適していない。
 現状を打破する効果的な妙案が思いつかずミュークが押し黙っていると、

「大灯台」

 ルムファムが北西の空を指差す。 霧が晴れると、大灯台が戴く巨大な黄昏色の焔は一層その輝きを増したようだった。

「テトラモルフ大灯台か……。 一時、身を隠すには最適適やもしれぬ。 じゃが……いや、今は何よりも時間が惜しい。 ここは素直にルムの意見を採らせてもらうとしようかの」

 僅かな逡巡を振り払うようにミュークが意を決すると、

「そ、それじゃ。 早く行きましょう」

 レムリアがその場で急かすように足踏みをする。
 一行は夜灯火に誘われる夏虫のように、上天に輝く大灯台の灯明を目指す。 暫くの間、何事もなく獣道とも水の通り道ともつかない泥濘を注意深く徒行していると、先頭を歩くプルミエールが口を開いた。

「それにしても、キモチ悪い水溜りですね。 真っ赤かです」

 プルミエールは膝上まで鮮血色に染まった聖職衣の裾を捲り上げると、小さな声で低く唸る。

「ほう、この暗闇のなかで水の色がわかるのかや?」

 ミュークは晒け出された少女の太股から視線を引き剥がすと、別種の関心を抱く。

「プルは大人だから当たり前です!」

 プルミエールがおしゃまな感じで鼻を鳴らした。

「大人かどうかは別として、聖女の血縁となにか関係があるのやもしれぬな」

 無論、人族にそんな便利な肉体的変異がないことはミュークも心得ている。 屍族の暗視眼を以ってすれば、夜間でも視界の確保は容易だが、物質の色彩を正確に認識することは難しい。 この人族の少女が宿す虹彩異色と何か関係があると考えて間違いないだろう。

「ええっ、この水赤いんですか? 全てが同系色に見えるのでわかりませんでした」

 レムリアがプルミエールの疑問を受けて恐々と足元を見下ろしている。

「嘗て、ここら一帯は緑溢れる肥沃な大地だったと母上から伺ったことがある。 聖剣戦争末期、ベルムード三世が滅び際に放った呪詛が、この地の生きとし生けるもの全てを呑みこんだそうじゃ」

「それが真実だとしたら凄まじいですね」

 レムリアが身震いするように、その短躯を更に縮こませた。

「そうじゃな。 真偽の程は確かではないが、この湿地帯の水源はこの地に攻め入った数千にも及ぶ人族の血液で出来ていると謂われておる」

 ミュークの説話に思い当たることでもあったのか再度、レムリアが口を開く。

「アセリエル大湿原に群生するルルワインが、赤い花を咲かせることにも何か関係があるのでしょうか?」

「気になるならどうじゃ、味見でもしてみるかや?」

 振り向いたミュークは、悪戯を思いついた子供のように、にんまりすると、湿地帯に冠水した水塊の味見を提案する。

「い、嫌ですよ……絶対に」

 毒見役をさせられては堪らないと、レムリアは両手をぶんぶんと交互に振って拒絶の意思を示す。

「つまらぬ奴じゃ。 長年寝かせた葡萄酒のように味わいが増しておるやもしれぬぞ?」

「そこまで言うなら、ミュークさまがご自分でどうぞ」

「こんな小汚い泥水を飲むわけがなかろう。 そもそも件の逸話が真実なら、このような豊かな生態系が形成されるわけもない」

 ミュークはさも心外そうに呟くと、踵を返す。 どうやら自身の舌で吟味するつもりはないようだ。

「あ、あの……泥水って」

 その場にポツンと取り残されたレムリアは、やり切れない理不尽さにがっくりと肩を落としている。 ミュークの興味が逸れたことには、ほっと安堵するが、何処か釈然としないようであった。
 ともあれ、そんな他愛もない遣り取りが更に数回繰り返されて、流石のミュークもレムリアを戯弄することに飽き始めた頃、

「どうやら間に合ったようじゃな」

 前方の夜闇越しに、黒々と聳える巨大な影が伺えた。 大地から感じる感触も変わり、長く続いた湿原での行程も終焉を迎えたようだ。
 一行が更に進むと、大灯台を取り囲むように乱立する石柱郡が肉眼でも確認できるようになる。

「プルのお家(アダマストル王城)よりでっかいですね♪」

 物珍しげに大灯台へと駆け寄ったプルミエールが、頬を紅潮させながらはしゃいでいる。

「目近にすると、流石に圧倒されるの」

 大灯台は地上の全てを睥睨するような威容を誇っていた。


<< 前の話   次の話 >>