初稿:2009.07.09
編集:2013.05.25
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※月ノ章の本編です

1-00【日常】


 この旅亭『ナシード』をミュークは甚く気に入っていた。
 古くは破棄された貴族の屋敷を改築したものであるらしく、瀟洒な外観と気品漂う佇まいである。 特に目を惹くのは館を囲む高い外壁で、大量の蔦が蜘蛛の巣の様に絡まり大樹の様相を呈していた。

「ナシード(ここ)を丸ごと買い上げて正解じゃったの」

 ことは数日を遡る。 聖アルジャベータ公会のお膝元であるナイトクランに到着して以来、ミュークたち一行は塒(ねぐら)探しに奔走していた。 屍族である身にとって、昼日中の褥の確保は緊急かつ最重要課題であったのだ。 金銭を積めば幾らでも選択肢はあったのだが、屍族の退廃した美的感覚に沿う物件はそうそう見つかるものではなかった。 そんな時、偶然出合ったのがこの古ぼけた城館宿であった。
 ミュークは直ちに屋敷を丸ごと買い取りたいと申し出た。 最初は渋っていた宿の主人も、最終的にはふたつ返事で了承した。 ミュークが血統アルカナ“女教皇”の能力を行使して宿主の心裡を読み取り、そこにつけ込んだのだ。 ナシードの面する旧表通りが、近年の区画整備によって嘗ての賑わいを失い、宿の経営状態がお世辞にも良好ではなかったこと。 そして、新たに事業の再建を図ろうと夢見ていた宿主に対して、現表通りで貸し宿を再興するだけの金銭を工面したのだ。 結果、この取引は両者にとって満足のいくものに終わった。 もっとも、ルムファムの無言の圧力が、主人の決断を後押ししたことは語るまでもない。

「なにより興趣をそそるのはこの湯殿じゃ。 ウルムドラ地方で採取された一枚岩の火成岩をくり貫いて造られておる」

 ミュークは満足気に頷くと、陶製の水差しを傾けて浴槽に湯を張る。 それから、湯船に指先を沈め微かに香草の匂いを漂わせる白い水面をかき混ぜた。 その動きに合わせ衣服に張り付いた大きな乳房が淫猥に揺れる。 ミュークの幼げな容貌とは裏腹に、不釣合いなほど肉感的な肢体は、見る者を誘惑する禁断の彫刻のように蒼白く甘い芳香を放っていた。

「ルム、早うするのじゃ」

 ミュークはずぶ濡れになった修道着を乱雑に脱ぎ捨てると、背後を振り返る。 その視線の先には身体に絡まった衣服と格闘を続けている少女屍族の姿。

「ぐぅ……む〜」

 ルムファムは小さく唸りながら床の上をコロコロと転げまわっていた。 その様は自分の尻尾に戯れる仔猫のようである。
 ミュークはルムファムの不器用さに軽く呆れながらも手招きをした。 それを見たルムファムがよたよたと近寄ってくる。 ミュークは慣れた手付きで幼げな身体に巻きついた腰紐を解き、修道着を残らず取り去ってしまう。

「ふむ」

 ミュークは上目づかいに見上げてくるルムファムの裸体をじっくりと観賞する。 幼い肢体には、壊れやすく脆いこの年頃独特の甘酸っぱい危うさがあった。 少年のようにも見える細い身体だが、服の上からでは殆ど目立たないほのかな膨らみも、僅かだがほころびる兆しを見せ始めている。
 ミュークはルムファムの妖精のような肢体に心を奪われていた。 元来の性癖もあるのだが、湯浴みの度にそんな状態なので―――

「くしゅん」

 可愛らしいくしゃみが、ミュークを現実へと呼び戻す。

「ゴホン。 風邪をひいては元も子もないの」

 ミュークは取り繕うように咳払いをすると、慌ててルムファムを温かな湯桶に浸からせる。 それから壁掛け棚に並ぶ石膏の壺の側面を数回叩き中身を確認すると、ひとつを選び取り蓋を回す。 途端に仄かな甘い香りが周囲に広がった。

「人族が常用する安物の香油だが、今はこれで我慢するのじゃぞ」

 ミュークは粘着性のある液体を自らの両手に滲ませると、諭すように語り掛ける。

「んぅ……」

 ミュークの両手が幼い肌を這う度に、ルムファムの発育途上の身体が跳ねる。

「ほれっ、暴れぬなや。 肌の手入れも女子の嗜みじゃぞ」

 暴れる獲物を自分の太腿で押さえ窘めるミュークだったが、

「―――つぅ」

 不意に走った鋭い痛みに眉を顰める。 同時にルムファムの動きもぴたりと停止していた。 少女の指爪がミュークの左頬の薄皮を剥ぎ、そこから朱色の粒が滲みでていた。
 振り向いたルムファムの瞳は何処か落ちつかげに揺れている。 そこに宿るのは不安や悔恨の念だ。

「大丈夫じゃ」

 ミュークはルムファムを安心させるように呟くと、指先をそっと傷口にあてる。 押し出された血液が胸元に零れて、丸みを帯びた裸身をなぞり落ちた。 ルムファムの喉がコクンと小さく鳴る。 その表情は憑かれたような虚ろなものに変わっていた。

「欲しいのかや?」

 ミュークは指先に付着した己の生血を舌先で舐めて悪戯っぽそうに微笑む。

「いいのじゃぞ。 ワチキは母上のようにヒトの生血を飲むことを禁じてはおらぬ」

 更にルムファムの耳元に口を寄せ言葉を続ける。 幼い身体は何かに堪えるように身動ぎすらしない。
 ミュークはルムファムの耳朶に軽く歯を立てると、熱く火照った唇を少女の耳の裏からうなじにかけて、ついばむように移動させる。
 ルムファムの強靭な自我が崩壊しかけた時―――

「あ、あの……ミュークさま」

 室内を仕切った紗布の向こう側に小さな影が映る。

「レムリアかや?」

「は、はい。 朝摘みの蒼月草の調合が終わったので……」

 レムリアが事前に頼まれた品を持参したようである。 蒼月草から得られる揮発性の油は、湯に混ぜると溶解して皮膚を膜で覆い、屍族元来の水に対する精神的な恐怖を和らげる効果があった。

「ご苦労じゃたな」

 ミュークは間が悪いとも絶妙とも言える頃合に現れたレムリアに苦笑する。

「そ、それじゃボクはこれで……」

「待つのじゃ、偶にはレムも一緒に入らぬか?」

 そそくさと立ち去ろうとするレムリアをミュークが呼び止める。

「い……いぃ、いえ。 ボ、ボクは遠慮しておきます」

 紗布越しにもレムリアの慌てふためいた様子が伝わる。
 レムリアがミュークとの湯浴みを断るにはふたつの理由がある。 一つは、水に濡れるのを嫌う屍族の本能的な性質が顕著であること。 そして二つ目は、ミュークと一緒では目のやり場に困るからだ。 年頃の少年屍族にとってミュークの肉感的な肢体は凶器に等しかった。
 それを知ってか知らずか、ミュークは勢いよく垂れ絹を跳ね除ける。

「わあああああ!?」

「それはつれなかろう」

 ミュークは逃げ出そうとするレムリアの襟首を鷲掴むと、人の悪い笑みを浮かべる。

「後生だから許してくださいぃ〜」

 それからレムリアにとって描写するには酷な一時が過ぎていった。


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