初稿:2008.06.13
編集:2013.05.23
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※ミューク編の序章です

0-00【屍族】


 黒真珠の塔―――

 それは西大陸最大の交易都市ナイトクランで生み出される富の象徴。 陸・海の貿易を統べる商人ギルド評議会を治める三大商王の一者、ヘリソン・マーロウの塔邸宅である。

 塔の最上階、展望室を兼ねた談話室では、奇妙な光景が展開されていた。
 異国情緒溢れる美麗な装飾を施された室内には三つの人影。 彼らは螺鈿細工の施された円卓を囲み、虚々実々な会話を交わしている。

「御身を賓客として迎えられることは、この身にとってこの上ない果報です」

 内のひとり、年の頃四・五十ばかり、悪趣味なほど金銀珠玉でその身を飾り立てた上流階級と思しき男が謙った口調で話す。 塔の主でもある商王ヘリソンである。 その声には対座する人物への畏敬と恐怖の念が入り混じっていた。 商王は禿げ上がった広い額に浮かぶ汗を、落ちつかなげな様子で何度も拭っている。

「商王殿は噂に違わぬ器量の持ち主のようじゃな。 異端者でもあり流謫の身でもあるワチキを懐に抱き、このように歓待して戴けるとは―――フフフ……」

 古風な言い回しで、さも慇懃そうに返答するのは、この夜会に招かれた者。
 白蝋の肌に美しい目鼻立ち、綺麗な栗色の髪を肩上で短く切り揃えて、一見少年のようにも見える。 しかし、纏った紅い長衣の胸元が大きな曲線を浮き彫りしていることから、女性であることがわかる。 落ち着いた佇まいは理知的で精錬された雰囲気を醸しているのだが、常に物憂いな紅色眼と小さな身の丈が、それらを幼げな印象に変えていた。

「これはご謙遜を……。 ウィズイッド家と云えば、屍族の中でも名門中の名門。 彼の二十二家に名を連ねる血族。 ミューク様はその現当主であらせられる。 時が時ならば、この地に覇をなしていたのは……」

「ウィズイッド家は同族である屍族達に裏切り者の烙印を捺されておる。 どのような帰結を得ようと、その名は地に堕ち泥に塗れている筈じゃ」

 ミュークはヘリソンの畏敬の言葉を軽く遮ると、自嘲するように口唇を歪めた。
 過去、世界ロード・ムアの実質的な統治者であった屍族達は、ここ西大陸でも揺るぎない支配を築いていた。 当時、奴隷階級であった人族は服従と隷属を強いられ、屍族の所有物として扱われていたのである。
 だが、常識や慣習に捉われない偏物者は、何処にでも生まれるものだ。 前ウィズイッド家当主アルフォンヌ・ウィズイッド―――ミュークの実母でもある人物は、人族と有益な関係を築こうと試みた最初の屍族だった。 アルフォンヌはウィズイッドの領有地に圧制から逃れた人族を保護して、様々な知恵を授けた。 だが、長い時を経て、屍族と人族の勢力図には如実な変化が生じることになる。 繁殖力に長けた人族が屍族の支配から脱却すべく、大陸の各地に自治領を形成して全面抗争を開始したのだ。 その熱は次第に西大陸全土へと飛び火して、血みどろの大戦へと発展した。

 後に“聖剣戦争”と呼ばれる戦いの先駆けである。

 長い戦いの末、北西大陸を支配していた大屍族達は駆逐される。 結果、アルフォンヌの抱いた未来は儚くも潰えた。 生き残った力ある屍族たちも呪詛の言葉を残しつつ、東方世界へと逃れていった。

「なによりワチキには母上の考えは理解できぬ」

 ミュークは胸裡を占める重みに堪えかねたように独り言つ。

「如何なされました?」

 それを聞きとがめたヘリソンが不審気な眼差しで尋ねた。

「いや、此方の話じゃ。 先程は幾分大人気なかったようじゃの。 それに、商王殿もこのような無駄話をする為にワチキを招いたわけでもあるまい?」

「い、いえ……。 ウィズイッド家のご息女が故国を捨て、この西大陸を見聞してまわっているとの噂を耳にして以来、ぜひとも御高説を承りたいと―――」

 ヘリソンは底意を隠したまま徹底して体裁をとり繕う。

「ふむ……。 じゃが、このバールペオル大陸は屍族の支配から解き放たれて久しい。 無様に生き恥を晒しているワチキよりも、其方たち人族のほうが知識には明るいじゃろう。 遠まわしな物言いは好かぬ。 話があるなら単刀直入に申されてみよ」

 ミュークの老猾な切り返しに、ヘリソンが目に見えて狼狽する。 商王は困ったように傍らに座る人物へと視線を移した。

「ミューク・ウィズイッド様。 貴女は我々より遥かに現実主義者であれるようだ。 ヘリソン殿、ここは正直にお話された方が得策でありましょう」

 三人目の人物―――声の主は素顔を隠すように奇妙な仮面を被っていた。 簡素な身形だが、この人物が高貴な身分の出である事は、端々の所作から窺い知れた。 その素朴な装いも、素性を推察する指標とならぬ為であろう。

「う、うむ……。 わ、我々は貴女の……いや、ウィズイッド家に伝わる特異な“力”を必要としているのだ」

「ウィズイッドが継承する血統アルカナの能力を欲していると?」

 ミュークの紅眼がヘリソンを射抜く。
 血統アルカナとは、大屍族である二十二家が継承する特別なチカラである。 二十ニ種存在する能力は、血族外には秘匿されており、一介の人族が知る術などない筈であった。

「そ、その通りです」

 ヘリソンは喉に詰まった塊を嚥下しようと生唾を飲み込む。

「じゃが、ワチキがその願いを聞き届ける必要性を知りたいの」

 ミュークは嘲るように言葉を返す。

「も、勿論、謝礼は弾ませていただきましょう。 金銭に黄金、宝石など望むがままですぞ―――」

 我が領分を得たりと、ヘリソンは得意気にその短い両腕を左右に広げた。 金銭さえ積めば、全てが意のままに運ぶと考えているのだろう。 それを見通したミュークは、物欲に塗れた醜い魂に吐き気を覚えていた。

「つまらぬ」

「そっ、それでは、どのような形をお望みか?」

 虚をつかれたヘリソンは狼狽を隠せず、円卓に身をのりだしていた。

「それを提示するのは、そちらの領分じゃろう」

 冷たく突き放した物言いに、ヘリソンは鼻白んだまま答えに窮してしまう。

「さすがに一筋縄ではいかないようだ。 この場は私が引き継ぎましょう」

 仮面の人物が横合いから再度口を挟む。
 表面上は恭しくヘリソンに謙ってはいるが、この場の主導権を握っているのは、明らかにこの仮面の人物である。

「仮面の君よ。 其方は客人に顔を明かせぬほど醜悪な相貌をしておるのかや?」

 痛烈な皮肉である。 身分を明かせない理由がある事を察した上であるのだから尚更だ。

「これは手厳しい。 しかし、素顔を見せぬのはミューク様に対する信頼の証。 これはそういったもので御座います」

 仮面の人物が指す“信頼”とはミュークに向けられたものではない。 ウィズイッドの血筋が受け継ぐ“特異な力”への敬意である。

「そのようじゃな。  其方はワチキが継ぎし血統アルカナの“正体”をよく存じているとみえる。 じゃが良いのかの? 商王殿は如何にも無防備じゃぞ。 アチラからお主の正体を“視る”事もワチキには可能じゃ」

 ミュークの紅眼に冥い燐光が宿る。 しなやかな指先が正面に向けられた。 一拍遅れて、室内にヘリソンの悲鳴が響いた。 椅子から転げ落ちた拍子に、強か腰を打ちつけたようで、商王は毛足の長い絨毯の上で無様に這い蹲っていた。

「わ、わたしは何も知らないのだ。 ただ、よい儲け話があると持ちかけられて……」

 ヘリソンが聞いてもいないのにべらべらと喋りだす。 どうやら理性の箍が外れてしまったようである。 彼の両眼には人族が屍族に抱く根源的な恐怖が宿っていた。 仮面の男が大きく手を打ち鳴らして室外から給仕の娘を呼び寄せる。

「ヘリソン殿はご気分が優れぬご様子。 すぐに私室の方にお連れしなさい」

「面倒なことじゃな」

 商王が室外に運び出されるのを待って、ミュークが誰にともなくそう呟く。

「ヘリソン殿には仲介役としてこの場に同席して頂きましたが、気の毒な事をしてしまったようです」

 仮面の人物が傷心を装っているのは明らかだった。 内心では場違いな役者が早々に退場することを誰よりも望んでいた筈だ。

「まぁ、良い。 して、ウィズイッド家の“力”を必要とは如何なる理由でかの?」

 ミュークが単刀直入に切り出す。 どうやら、言葉を釣り糸にしての心裡の探りあいに辟易としていたようだ。

「それはミューク様の返答次第となりますかな」

 仮面の男は徐に立ち上がり、壁際に立ち並ぶ酒棚へと歩み寄る。 戻った男の手には見慣れぬ形状の酒瓶が握られていた。 それから、慣れた手付きで銀盃に血色の液体を注ぐと、ミュークに無言で差しだす。

「貴紅酒かや? ふむ、これはなかなかの上物じゃな」

 ミュークは盃を口元に近づけて、紅い舌でペロリと液面を打つ。
 貴紅酒は大陸北部の寒冷地帯でのみ生息するプリウスの実を発酵させた果実酒である。 天然に濃縮されたプリウスの果汁は、甘味と酸味が豊富で人族の血液と酷似した含有成分を持ち、屍族の吸血欲求を満たす代用品として広く知られていた。 しかし、貴紅酒は教会法では禁じられた銘柄であり表の世界では流通していない。 プリウスの実には多量の麻薬成分が含まれており、度を越せば飲む者を廃人にする禁酒であるからだ。

「ワチキの受諾の有無がなければ話せぬ内容かや?」

 舌の滑りも良くなったようで、ミュークの口調も軽やかである。

「そうなりましょうか」

「ふむ、気に入らぬこともあるが、興味深いの……」

 ミュークは手にした盃を傾けると、それを一気に飲み干して、悪戯めいた笑顔をみせる。
 屍族との接触は教会法で禁じられている。 そのような危険を犯してまで夜会を開いた商王の思惑に興味があった。 この招待を受けたのもただの気まぐれではない。 三大商王の食指を動かすほどの儲け話など、そこらに転がる小事である筈がない。

「商王を傅かせる者の腹の裡を知るのも、暇つぶしぐらいにはなるじゃろう。 それに貴重な貴紅酒を頂いたことじゃしな。 これで断れば非礼となろう」

 そう言って、ミュークは肩上で短く切り揃えられた栗色の髪を気だるげに掻き揚げる。
 仮面の男はミュークの言葉を了承の意思と受け取ったのだろう。 満足したように肯首した後、切り出した。

「アダマストル第一皇女であるシャルロット・アルジャベータ・リュズレイを生きたまま囚えて頂きたい」

 それは、ミュークの抱いた推量を遥かに超えたものであった。
 このナイトクランを中心に、屍族と人族、様々な思惑や陰謀が禍々しく蠢きだしていた。


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