初稿:2013.07.08
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※魔法学校編です

0-00【少年】


 西大陸で唯一の魔導師の殿堂―――アルバテル魔召殿。

 魔導を志す者たちが集う知識の庭は、アルル=モア公国の首都アンディーンに本拠を構えていた。 公国内に点在する五つの魔導師養成所で、半年に一度行われる選抜試験において、優秀な成績を修めた者だけが、王都に招かれる。 養成所で素質や知識を磨き、本殿で実践的な術式を学ぶといった流れだ。 術式の制御は、術者の資質もさることながら、基盤となる知識が礎となる。 制御法を誤って、命を落とすことも珍しくはない為、このような措置がとられていた。 それは殿堂を管理する魔導師協会の定めた規律であり、王侯貴族であろうと特別扱いはされない。 西大陸で魔導を志すなら、魔導師教会に所属して魔召殿で学ぶか、高位魔導師に認められて直接教えを請うかのふたつにひとつであった。 そして今、都の魔導師の間で、実しやかに囁かれる噂があった。 魔召殿の力の象徴でもある三長老のひとりが、数年振りに直弟子をとったのだ。

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 魔召殿の奥庭に三つの人影があった。
 内のひとり、少し大きめの黒魔法衣で身を包んだ少年が白蛇の水妖と向かい合っている。 癖のある銀髪に深い海色の蒼眼、まだ幼さの残る相貌には汗の玉がいくつも浮き出していた。

 ―――引き攣ったような噴気音

 水妖はトグロを巻いた白色の胴体から鎌首をもたげて牙を剥きだしている。 発達した耳ヒレが威嚇するように左右に広がっていた。 水妖特有の無機質な凶眼に睨まれた瞬間、少年の身体が強張って思うように動かなくなる。

 「大丈夫、教わった通りにすればいいだけだ……」

 小さく呟いた少年は、右手に携えた樫木の杖を握りなおした。 下級の妖魔を使い魔にすることは、見習い魔法使いのにとって最初の試練である。 人族の扱う儀式魔術(典礼魔術)は主に使役術に特化している為だ。 また、降霊術の側面もあり、使い魔を生霊として己に憑かせて、その能力を自在に行使することも可能だ。
 師の教えと、魔導書の知識を反芻する。 目的の成就には、様々な術具や触媒、魔方円などを用いて、儀式化された魔導式を忠実に履行しなければならない。 意識を集中すると、杖先を器用に操って、古代の魔術文字を地面に刻みこむ。 魔導に身を窶す者なら誰もが息を呑むほど見事な手並みだった。 寸分の狂いもなく下級水妖を中心とした契約の魔法円が完成する。 更に頭に叩き込んだ手順をなぞり、左手に握られた小瓶の栓を抜いて、純水を一滴、魔法円に滴らせた。 水滴が地に染み込むと、魔術文字が潤いを取り戻した草木のように息吹き脈動する。

「我が名はレムリア・グリンハルト。 古き河の神に連なる水妖よ。 青帝と結びし古の契約に従い、汝の血肉を以って契約の証とせん」

 契約の言霊を唱えた少年は懐から取り出した下級水妖の鱗を口に含む。 これで儀式は無事に完遂するかに思えた―――が、突如異変が生じる。 魔法円から噴水のように水が溢れだし、躍り上がった奔流が少年から呼吸を奪う。 すさまじい水圧は儀式の成果もろ共に全てを押し流してしまった。 全ては一瞬の出来事だった。

「げほっごほっ……うぅ」

 激しく咳き込んで、呑み込んだ泥水を吐き出す。 呼気を整えようとして、少年は激痛に息を詰まらせた。 陽光に晒された白皙の肌が灼ける。 水に濡れて陽避けの肌粉が流れ落ちてしまったことに気づき、背筋に氷塊が滑り落ちた。

「レムリア君、大丈夫かい!?」

 声と同時にレムリアの身体が赤色の布地で覆われる。 皮膚を刺す痛みが急速に遠のいていった。 見上げるように目を開けると、黒髪黒眼の優男が気遣わしげな表情で覗き込んでいる。 ぼやけていた意識が定まると、その人物が自分の魔導の師であることを理解した。

「グラングラム先生。 は、はい……大丈夫です」

「立てるかい?」

 グラングラムは少年が落ち着くのを待って、背中を支えて助け起こす。 ふらつきながらも立ち上がった愛弟子の姿に、安堵の息を漏らすが、それは途中から大きなくしゃみへと変換された。 少年を陽射しから守る為、咄嗟の判断で魔法衣を脱いでしまったので、今は半裸に近い格好であった。 比較的温暖な気候帯に属するアルル=モア公国だが、北方に連なる白竜の峰から吹き降ろす寒風の影響で、日中でもかなり冷え込んでいる。 洋袴に薄い絹着一枚では、凍死してもおかしくない。

「あわわ、大切な紅魔法衣が……。 申し訳ありません」

「いや、気にしなくてもいい」

 グラングラムは慌てて師の魔法衣を返そうとする少年を手で制する。 紅色の魔法衣はアルバテル魔召殿で最高位階・長老の証である。 魔導を志す者なら誰もが袖を通すことを夢見ていた。 それ故、気まずそうな弟子の姿に「誉はここにあって物品に宿るものじゃない」と付け加えた。

「いいえ、気にするべきです」

 ずかずかと、正しくそんな靴音を響かせて、ひとりの少女が近づいてきた。 年の頃、十五、六であろうか、つり上がった強気な瞳と長い巻き毛は明るい赤銅色に輝いている。 凛々しくも利発そうな相貌が印象的だ。 格好そのものは少年と同じだが、黒一色のとんがり帽子と魔法衣を纏った姿は、絵本に登場する魔女宛らの井出達である。 本来は魔召殿で学ぶ見習い魔法使いに支給される制服であるが、グラングラムの個人的な趣味で弟子にも着用させていた。 師曰く、カタチから入った方が身が引き締まるらしい。

「なにより、先生はこの子に甘すぎだわ!」

 少女はレムリアの顔に指をつきつけると、肩を怒らせてグラングラムを睨み上げた。 師に対して不遜な態度だが、ずり落ちるとんがり帽子に悪戦苦闘している仕草が愛らしく、本人の望まぬカタチで嫌味は感じられない。

「そういうわけだ。 エイシャさん、レムリア君を医務室に連れて行ってくれるね」

「先生……アタシの話を聞いていましたか?」

 エイシャの大きな瞳が三白眼になっていた。

「君の提案の優先度は、上から数えて32番目に位置している」

「いくらなんでも低すぎます」

 この手の言葉遊びは慣れているようで、両者共によく口が回る。

「短命種である人族が効率的に生きる為には、常に優先度の高い事象から処理する必要がある。 そして、今この場で最も優先されるべき事柄は、乱れた水妖の精を鎮めることだ。 この意味がわかるね?」

 グラングラムは駄々っ子を諌めるように、順序立てて理を説く。
 儀式の最終段階、つまり使役対象の血肉を呑み込んだ術者が契約に失敗した場合、最悪の事態となる。 血肉を奪われた魔性が、術者に襲いかかるのだ。 水蛇は下級の水妖なので大した力はない。 術者の体内から鱗が排出されるまでの間、憑きモノとなって体調不良や睡眠障害など軽度の霊障を引き起こす程度だ。 だからといって小事が大事を生む可能性もある。 術暴走で何処かへ流された水蛇を探しだすことが先決だった。

「なんでアタシがこんな子の面倒を……」

「後輩ができると知って、飛び跳ねて喜んでいたのは誰だったかな?」

 グラングラムは尖ったエイシャの唇を指先で押さえる。 少女の頬に薄っすらと赤みがさした。

「そ、それは……。 まさか、屍族(吸血鬼)が来るなんて思わないし」

「エイシャ」

「わかってますよ。 皮相な見解は愚者の所業でしょう。 耳に金メッキのタコができています」

 金言にあやかった皮肉だろう。 上手くはないが、言いたいことは十分に伝わったようだ。

「物事の本質を見抜く目は魔導師にとって必要不可欠なものだ。 姉弟子としてちゃんと介抱してあげるんだよ。 それに君の今の格好も……その、アレだ。 ……早く着替えたほうがいい」

 グラングラムはエイシャから視線を外すと、誤魔化すように咳払いをした。

「格好? アタシは先生と違って露出愛好家じゃ―――きゃ!?」

 エイシャは自分の姿を確認すると、一瞬にして耳まで真っ赤になった。 水妖の暴走に巻き込まれていたのだろう。 濡れた黒魔法衣が肌に張りついて、平均より発育のいい身体が浮き彫りになっていた。 思わず突き飛ばしたグラングラムに向けて、「異常性欲者」だの「小児性愛者」だの散々暴言を吐いて、理不尽な謝罪を勝ち取ると大きく息を吐いた。

「ほらっ、いくわよ。 ここに居たら先生の邪魔になるから、さっさとついて来る」

「あ、あの……でも」

 戸惑うレムリアの手を引いてエイシャが本殿へと歩き出す。 手の平から伝わる確かな温もりは少年にとって心地よいものだった。


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